なんか、最近Erillのテンションが上がっており、せっかくの土曜日の静かな一時を過ごそうとしているのに、「こんなの、どう?」と言いながら、不思議な曲であやしく歌ったり踊ったりしています。 その理由を聞くと、来年の2月に友人の披露宴があるらしいのです。 そこで、「なんか、余興でも頼まれたの?」と聞くと、あっさりと「何も頼まれていない」と答えるではありませんか。「じゃ、なんで?」と問うと、「楽しいの」と言うのです。 (・ ・);  目が点状態の Tarlin を尻目に一人ではしゃいでいるので、まぁ、これも一時の病と思い、捨て置くことにしました。
 今日は、久しぶりに家でのんびりと過ごし、溜まったホームページのコンテンツを作っていますが、なかなか進みまないものですね。 もう少しで9月に旅行した萩のページが漸く出来つつあるのですが・・・。 ノーテンキなErill は、また旅の虫がうずき出しているよう(11月の日記を見て下さい)だし、この調子では、これまでの旅行記などは当分無理ですな。
 

2004年12月4日(土) 踊るErill

     
 
2004年5月
2004年5月

 大河ドラマ「新選組!」が、後一回で最終回を迎えようとしています。その最盛期、勤めと信念のためとはいえ志士達を容赦なく切り捨て、隊の統率のため「局中法度」のもと内部粛正を繰り返した中盤は、あまりの酷薄と残忍に見るに堪えなくなったこともありました。が、大政奉還の成立後、時代の変転に追い落とされ、これまで一途に仕えてきた幕府からも厄介払いされるようになってからの姿は、あまりにも哀しく切なく、胸を打ちます。
 大河ドラマに触発され、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』『世に棲む日日』『燃えよ剣』を立て続けに読んでみると、この時期、時代を進めようとする倒幕派も、時代を押し留めようとする佐幕派も、互いに見境無く斬り合いを繰り返しています。まるでフランス革命第二期のようなセクト間の粛正テロリズムの横行する、血にまみれた時代。
 命の重さが、現代とは比較にならぬどに軽かったのでしょう。江戸時代末期は、飢饉が繰り返し起こったことでも知られています。政治活動や人斬り稼業に加わらずとも、病気や飢饉でいつ命を失うか分からず、何人も常に死と隣合わせであった時代。軍人である武士階級の価値観に加えて、健康で安定した生が容易に得られなかったという実情が、生の証を、命を存続させることよりも死してなお人々の記憶に残る生き方に求めるよう、この時代の人々を駆り立てたのでしょうか。
 生命よりも信念を尊び、現代の感覚では非人道的で異様にうつる誅殺や切腹が日常茶飯であった時代の背景に、生きることが困難な状況があったとすると、現代のように人命尊重の価値観が一般にも滲透したのはいつ頃なのでしょうか。おそらく生活水準が上昇し、医療が進歩した19世紀から20世紀に入る前後(国や地域によってかなり差が出ると思いますが)あたりからでしょうか。そんなことを思いめぐらしてしまいます。
 厳しい生を生き抜いた人々の生命の営為の、累々たる重なりの上に歴史が築かれていることを、激しい変革期ゆえに鮮やかに示してくれる幕末。現代に連続する「近い時代」であるからこそ感じる生々しさ。現在を知るためにも、向き合うべき時代なのかもしれません。
 

2004年12月6日(月) 幕末に思う

 クリスマスまで後二週間です。Tarlin & Erill家でもクリスマスツリーを飾り、手製のリースを玄関に掛けました。家の外もクリスマスの雰囲気にあふれています。夕方になると、住んでいる住宅街は思い思いのイルミネーションが華やかに灯り、少し(いやかなり)寒いですが、散歩しながら見て回るのが楽しみな季節です。
 クリスマス気分なのは、大学もいっしょ。毎週木曜日は、Erillが民話の研究会でお世話になっている先生の所にお伺いする日。今日は、先生に頼まれて、『聖しこの夜』をドイツ語原詩、フランス語、スウェーデン語、デンマーク語で歌っているものを、手持ちのCDからMDに編集して持って行きました。Erillは、世界各地の民謡や俗謡、行事の歌が好きで、訪ねたことのある国のCDを集めています。
 それは、先週のこと。午前のゼミが終わり、いつものようにドイツ人の留学生君を囲んでの昼食の一時の後、教授の先生が「今日は皆さんにお願いがあります。クリスマス前なので、ドイツ語の授業で『聖しこの夜』を一年生に覚えてもらいたいんだけど、僕は音痴なので、皆さんに歌ってもらって録音したいんです。」とおっしゃられ、おもむろにテープレコーダーを机の上にセットされるではありませんか。
 「ドイツ語、日本語、英語の順に歌いましょう。では、いきますよ。はい♪」と、音を合わせて歌い始めたら、音痴だと謙遜しておられた先生も、しっかり大きな声で歌っておられます。結局、一人だと恥ずかしいので、みんないっしょに歌って欲しかった、ということなのでしょうか(@_@)。
 それにしても、CDとかお持ちじゃないのでしょうか。「あの〜、先生、私、ドイツ語と、デンマーク語なんかの『聖しこの夜』、CD持ってますよ。」「あ、そう?じゃ、ぜひ持ってきて聴かせて下さい。」 と、こんないきさつで、今週4ヵ国語の『聖しこの夜』のMDを持参することになりました。
 語学の先生なので歌詞をご覧になりたいかもと思いきや、CDを見ると歌詞カードがついていません。インターネットを探すと、何と世界各国語の『聖しこの夜』の歌詞を一堂に集めたサイトがありました。ヨーロッパ語や日本語はもちろん、タヒチ語、スワヒリ語などの自然言語、エスペラント語などの人工言語、はては『指輪物語』のトールキンの創作原語2種類のエルフ語まであります。キリスト教化したエルフが歌うのでしょうか・・・
 とりあえず、先生にはこのサイトをメールで紹介し、フランス語の歌詞だけはCDに付いていたので持参しました。喜んだ先生、早速教材プリントにフランス語の歌詞を追加されていました。楽しい先生です。何はともあれ、お役に立てて良かった、良かった。
 

2004年12月9日(木) 歌う研究室

 旅行会社にモディブの手配を頼んでから、後2日で2週間。旅行会社が紹介してくれたバロスをキャンセルし、ココア・アイランドとヴェリガンドゥ、アンガガの三つのリゾートに手配を掛けて直してもらったのが先週火曜日。それから3日後の先週金曜日には、第1希望日程の1月下旬は3箇所とも全滅だったので、第2希望日程の2月下旬で手配を掛け直すと、旅行社から連絡がありました。
 以前尋ねた時は、大体3日したら結果が分かるという話でしたが、今回は、それから一週間経った今日も、まだ連絡がありません。もしどこも取れなければ、もう一つの候補地パラオのツアーに予約を入れたいし、しびれを切らして旅行会社に問い合わせたら、「まだ、ホテルから回答が帰ってきておりません。催促はしているのですが・・・」と、担当のお姉さんの申し訳なさそうなお返事(@_@)。さすが南の島、時間の流れが違います・・・・
 1月から3月のモルディブは乾期のベストシーズン。ヨーロッパと日本からの客で混み合い、なかなか予約が取れないとは聞いていましたが、やはりその通りでした・・・この時期のモルディブはベッド数が足らず、オーバーブッキングを政府が公認しているため、1、2日の部屋の格下げやリゾートの変更も日常茶飯とか。ホテル側は、予約の入り具合を注視しつつ、どのくらいまでオーバーブッキングを許容するか思案しているのしょうか。う〜ん、何やら恐ろしい。(考えすぎ!?)
 結局、結果が分かるのは、来週に持ち越しとなりました。モルディブは、さらに遙けき彼方へと遠ざかって行くようです。
 

2004年12月10日(金) モルジブ遙か彼方

 NHK大河ドラマ「新選組!」が、とうとう最終回を迎えました。前回から登場の古田新太演じる貫禄たっぷりの薩摩隼人、有馬藤太が気に入ったTarlin、一年間はらはらしながら見守ってきた名残がつきないErill、8時からの総合での放送だけでは飽きたらず、10時からのBSの放送まで見てしまいました。きっと土曜日の再放送も見てしまうでしょう。
 舞台出身の三谷幸喜の脚本らしく、俳優の個性を生かして能力を十二分に引き出し、一話ごとに見所がある巧みな構成で、見応えがありました。反面、全体を通して見ると無理な設定や詰めが甘いところもあり、長編としての弱さを感じさせる面もありましたが、そこは各挿話の三谷流脚色の面白さに惹きつけられ、また、登場する人物一人一人の魅力に愛着を抱かされました。つられるように司馬遼太郎の幕末小説を読んだ、ということもありますが、結果、こんなに独特な思い入れと共に見続けた大河ドラマは初めてでした。一つの時代が終わりと共に、一年が終わったような、そんな気分です。
 有為の志士を無情に切り捨て、内部粛正を繰り返した新選組の組織としての本質は、正直いただけない物があるととしても、最後までその行く末を見てしまうと、哀惜を感じずにはいられません。最初に多摩という将軍家を慕う土地柄で生まれ育った人々が、時代の勢いに任せて己の信じるままに目暗滅法に疾走し、気が付けば走っていた道が時代の本筋から外れて、そのまま奈落へと突き進んでしまった、そんな感じでしょうか。その盲目的な、ほとんど暴走気味の一途さが、なんとも切なく、決して憎めない。むしろ、愛着が湧いたとたんに終焉してしまいました。
 ちなみに、土曜日に放送していた「ロード・オブ・ザ・リング-二つの塔-」。DVDを持っているというのに、見てしまいました・・・放送されているものをリアルタイムで見るのって、まるでイベントに参加するような感覚で、DVDやビデオで見るのとはまた全く別の臨揚感があるのですね。ヴァーチャルといえばヴァーチャルですが。ちなみにこの映画シリーズでのTarlinのお気に入りは、ドワーフのギムリだそうです。
 有馬藤太といい、ギムリといい、二人とも、情に厚く、男気のある無骨漢。う〜む、Tarlinの男の理想は、どうやらこの辺りにあるようです。

2004年12月12日(日) 新選組!最終回

2004年12月16日(木) モルジブは永遠の彼方

 モルジブで手配をかけていた三つのリゾートからの回答が、今日やっと出揃いました。というより、無理やり揃えました。12月3日に再手配をかけてから10日目の月曜日、旅行会社から連絡があり、ココア・アイランドとヴェリガンドゥは満室で予約不可、アンガガもまだ回答は入ってきてないけど、厳しそうとの話でした。残念ですが、仕方ありません。
 旅行会社のお姉さん、「他に希望のリゾートを挙げて貰えませんか?」と尋ねてきます。「部屋数の少ない(70室以下)のホテルで、水上コテージに泊まれて、日本人が出来るだけ少なく、モルジブらしい白い砂浜と砂州があり、シュノーケルで魚がそこそこ見えるようにどこか一方がドロップオフになっいる島。」というのが私達の理想。ガイドブックや旅行情報サイトと首っ引きで、90近くあるリゾート島から予算に収まりそうな所を選んで、やっとこの3箇所だったので、もうこれ以上浮かんで来ません。旅行会社のお姉さんに逆に尋ねたら、「そうですねえ、客室数が少ない所、というのが他にあまりないですね・・・」との返事。アンガガが駄目なら、今回やめてまた次の機会にお願いします、と伝えておきました。
 それにしても、アンガガの回答はまだだけど厳しそう、とはどういうことだろう?と思いつつ、いくらなんでもじき返答が来るだろうと、その時点では、あと2、3日だけ様子を見ることにしました。が、今日の木曜日なり再予約から2週間が立とうとするのに、まだ回答がありません。今から2ヶ月半後の2月末の海外旅行で予定がまだ確定してないと、今度はTarlinがまとまった休みをとれなくなってしまいます。たまりかねたTarlin、とうとう「今日の夕方までに結果が分からなければモルジブの手配はキャンセルして、パラオにする」との一声を発し、Erillがその通り行動することになりました。
 相変わらず夕方になっても電話がないので、こちらから電話して確認すると、「アンガガとずっと連絡がとれないんです。繁忙期で人が足らないみたいで・・・」とのこと。いくら呑気な南の島とはいえ、何なんですか、それ(\_\)。一生懸命骨を折ってくれたお姉さんには申し訳なかったのですが、さすがにこれでは仮に予約がとれても滞在中のサービス等ままならないと思い、キャンセルしました。
 というわけで、来年2月末はパラオに行くことになりました。モルジブは、またの機会に持ち越しです。今度は、万全を期して半年前には手配をかけなければ。

2004年12月18日(土) パラオ予約

 本年度の海外旅行、モルジブが駄目になったので、予定通り(?)パラオに行くことに決めました。パラオに行く方法は二つ、グアム乗り換えのコンチネンタル航空便と、JAL運行のパラオ直行チャーター便です。当然、後者が楽、というわけで、ジャルパックAVAの2月25日発の直行便利用4泊6日のツアーにインターネットで申し込みました。同じ便を使うツアーのパンフレットを数社から取り寄せたところ、系列会社の強みなのか、ジャルパックのツアーが同じ値段で毎日朝食がつき、一番お得だったのです。
 パラオはロックアイランドやロングビーチなど、美しい景勝地とシュノーケルスポットがあって楽しみなのですが、ダイビングポイントで高名な分、何だか海が深そうです。基本的にはカナヅチのErill、Tarlinの薦めでシュノーケル用のフローティングベスト(要するに救命胴衣)を買うことにしました。これで、深い所も遠い所も万全?
 今から楽しみななパラオ。好天に恵まれることを、ひたすら祈るのみです。

 旅の予約も取れて心穏やかな(?)日曜日、今日はErillの高校時代からの友達のご一家が、一年半ぶりに我が家に遊びに来てくれました。
 友達には1歳3ヶ月のお嬢ちゃんが居ます。この子がとても愛らしく、半年前に会った時は短かった髪の毛も肩まで伸び、見違えるほど女の子らしく成長していました。最初は何回か会ったことのあるErillにも人見知りをしていたのですが、だんだん慣れてくると走り寄って来て、色んな物を運んで来てくれます。台所にいると食器を運んでくれたり、デザートを出すとよだれ掛けを持ってきてくれたりとか。嬉しいけど、よだれ掛けは、自分で使ってね〜♪ Tarlinは、ブロックで作ったカップで、しきりにコーヒーを勧めてもらっていました。可愛いですね。
 絵本をプレゼントすると喜んで、早速いろいろと絵を見て名前を呼んで、遊んでいました。本好きな子のようで、よかった、よかった(*^o^*)。
 彼女のお母さんのErillの友達は、ピアノは上級の腕前です。ベートーベンのソナタを弾きこなし、ショパンやドビュッシーの名曲も色々弾いたことがあるとか。凄い!の一言です。8月以来、性懲りもなく独学で指をおたおたさせているErill、来月は私が彼女のところにお邪魔して、分からないところを少しみてもらうことにしました。それまでに、もう少し練習せねば♪

2004年12月19日(日) 友達来る

2004年12月24日(金) 蘭食事始め in クリスマス

 今日は、もしかすると Tarlin が出張かも知れないと言うことで、無計画状態でしたが結局、出張が無いことが確定したところ、 Erill からは、”じぃーッ”と、「それって、マジ?」みたいなうさんくさい目で見られた為、家庭平和の為にも仕事が終わったら、どこかでクリスマスディナーを食することにしました。(・・・させられました)
 しかし、何と言っても今日は、クリスマス本番であるとともに、ご丁寧に金曜日ではありませんか。日頃、行っているお店とかは、予約を入れようとしようものなら、「おととい来て下さい。」とか言われてしまいそうなので、Erill に店を探してもらって突撃予約を敢行することにしました。 お昼頃、Erill よりメールが入り、よさげな所が予約できたとの報が入り一安心。

  さて、そのお店、淀屋橋の近くにある「Oude Kaas」というオランダ料理店です。 Tarlinもオランダ料理というのは初めてで楽しみにして行きましたが、これが何とも Good。 お店の雰囲気もよくて、こうなればお酒が進むというものです。(・・・結局、そこに行き着くのね) 特にビショップワインというホットワインがとても美味なのです。 赤ワインに少量の砂糖とレモン・シナモン・クローブを加えたもので、これを飲むと心の底から暖まりまた楽しくなると言う絶品ものでした。 「オランダ料理」 Tarlin にとっては、文明開化の味でした。

2004年12月25日(土) 踊るErill 第2章 テンション最高潮

 12月4日の日記で、 Erill が大学時代の友人の結婚式に呼ばれ、いつになく浮かれていることは書きましたが、なんと、その友人から余興(歌を披露)をお願いされたそうなのです。
 曰く、「Tarlin が、あんなこと書くから、頼まれちゃったじゃない。」 と責めつつも、顔が妙に嬉しそうなのです。 その証拠に、「どこかカラオケで練習しなくちゃ」とか、「一度、みんなに聴いてもらおかな〜。」とか、浮かれ度合いが以前にも増してヒートアップしているようです。まぁ、後は「風邪ひかないでね」と願うばかりです。

 今日は、Tarlin姉様のご一家と、一族を挙げての、もとい2家族合同クリスマス会です。会場はTarlin姉様宅。料理は持ち寄りで、お姉さん宅からはパエリャと蠣フライ、揚げ餃子、大根サラダ、我が家からはフルーツサラダとローストチキンのキノコのクリームソース詰め。え、うちの方が品数が断然少ないって?まあ、それは・・・うちの方が出かけて行く側だから、ということでf(-o-)。

2004年12月26日(日) クリスマス会

 去年のニューカレドニア旅行で買った96年物のブルゴーニュワインを飲みながら、所狭しと並べられた料理に、おしゃべりする暇もなく舌鼓を打ったあと、兄様の振る舞いで最近人気の兼八なる焼酎を味わい(注:Erillはカルーア・ミルク)、楽しいおしゃべりに花が咲いたのでした。
 本日のメインは食事(とお酒)の他にもう一つ。小六の姪っ子ちゃんが弾く「子犬のワルツ」です。実は、最近やり直しピアノにはまっているErillのリクエストで、Tarlin姉様が今回のクリスマス会をやってくれることになったのです。よく弾き込まれた、滑らかな愛らしい演奏でした。ついでに、Erillも友人の披露宴で歌うつもりにしている歌を聴いてもらい、楽しく夜はふけていったのでした。
 宴もお開きになり、帰って来たら、スマトラ沖の地震でプーケットやモルジブに津波による甚大な被害のニュースが・・・モルジブとピピ島、この冬の旅行の候補地だっただけに、呆然としてしまいました。一刻も早く救助活動と復旧が進むことを祈ります。

2004年12月30日(木) 第九交響曲

 今年も、長いようで短かった1年が暮れようとしています。 つい、先日まで、来年2月の休暇にモルジブに行こうとしてツーリストに手配までかけて、希望のリゾートが予約がいっぱいで断念したことを思うと、スマトラ地震の大津波でリゾートの多くが壊滅的な打撃を受けたことが今でも信じられません。青い海と碧い空が好きな私たちにとっては悲しい出来事であると共に、今年1年を振り返って改めて自然の驚異を感じさせられました。
 「これから地球はどうなっていくのだろう・・・」という危惧を感じながらも、時は確実に回って行きます。私達にとって1年の締めくくりは、月並みですが「第九交響曲」。 それも、佐渡裕さんが指揮し、京都バッハアカデミー合唱団の合唱が奏でる・・・第九。 今年も12月30日に薄暮の中を忙しく行き来する人達とすれ違いながら、シンフォニーホールへ向かいました。演奏は、年を追う毎に、指揮者の佐渡さん、大阪センチュリー交響楽団の皆さん、そして、合唱団の皆さんの思いが結実するかのように素晴らしいものになっていると感じました。演奏会の内容については、改めて「星の竪琴」に載せたいと思います。
 さて、今年は、自分たちのホームページを開いて、多くの方と知り合うことが出来た出会いの年でもありました。そして、その一人に「サドラー2号さん」という方がいらっしゃいます。「星の竪琴」のページを通して知り合ったのですが、その方が、合唱団のメンバーとしてこの演奏会のステージに立っておられたのです。 お会いしたことはありませんが、自分たちの知っている方がステージにいると思うだけで、とても楽しくドキドキさせられました。 こんな、ヘッポコなサイトですが、こうして小さな出会いをこれからも築いていければと思います。