2005年1月
睦月
   
    

2005年3月2日(水) パラオ旅行

 2月25日に、寒い日本を飛び出して常夏の国パラオへと向かい、あっという間の夢のような4日間を経て本日、元気に帰ってくることができました。
 一言でいうと、そこはパラダイス。七色に変化する美しい海、長い年月によって刻まれた変化に富んだ地形、海の中を乱舞する魚たち、潮の満ち引きともに姿を変えるビーチ、陽気で楽しい現地の人。何をとっても感動の連続でした。 しかし、その反面、様々なハプニングもありました。詳細については旅行記としてまとめて「太陽の南」に掲載しますね。 銀塩カメラの写真は現像に出さなければならないので、まだ手元にはありませんが、デジカメで撮った写真の一部をご紹介します。
 

 申し遅れましたが、昨年の12月に大津波があったことから、色々と心配して下さった方々に御礼を申し上げさせていただきます。

2005年3月4日(金) サドラー2号さん来たる

 今日は、「佐渡裕さんファンのためのサイト サドラー's ROOM」を主催されておられるサドラー2号さんが我が家に来て下さいました。 その理由は、話せば長くなるのですが少しだけ。
 「星の竪琴」で佐渡裕さんの折れた指揮棒のことを書いていますが、その指揮棒が折れる瞬間を合唱員として子細に観察されていたのがサドラー2号さんで、ご自分のホームページにアップされていました。そして、その指揮棒が Erill & Tarlin 家にあることを伝えて以来、交流ができ、さらには、お話をするうちに住んでいる所が目と鼻の先であることがわかり、一度お会いして秘蔵の佐渡さんグッズなどを見せて頂くことになったのでした。
 ちょうどTarlinはパラオ旅行の余韻を浸ってしまい未だに社会復帰できずに、会社をお休みしているので、サドラー2号さんが仕事を終えてから来て頂きました。
 とても気さくな方で、初対面とは思えないくらい、佐渡裕さんや音楽にまつわる色々な貴重なお話を、秘蔵写真やCDを交えて、たっぷり聞かせて頂きました。落ち着いておられながら、大変パワフルで、合唱に、HP運営にと、広範囲に、しかもどれも深く、かつ高水準の活動をされておられる姿に、自分達も元気を頂いたような、あっという間の楽しい夕べでした。
 特に、典型的な瞬発集中型の常で、興味の中心がその時その時で変遷気味のErill、こういうエネルギッシュな方にお会いすると、自分も何か一つのことをしっかりとやり遂げたいなあ、とつくづく思ってしまいます。もっと持続エネルギーがあればなあ・・・

 パラオから戻って明日で一週間、余韻は冷めやりませんが、つらかった頭頂部と、シュノーケルの時に日光にさらされていた脚の後ろ日焼けのひりひり感が冷めてきたのには、一安心です。
 さて、今日は、Erillの3○回目の誕生日です。年を重ねるのは複雑な心境ですが、誕生日は素直に嬉しいものです。「記念の日の行事は当日に」がポリシーのTarlin、仕事を早めに切り上げて9時(これでもTarlinとしては早い方)には家に帰ってきてくれました。少し遅いですが、9時半から車で少しいった所にあるサン・マルクで食事です。焼きたてのパンが美味しいこのお店、料理はフランス料理のファミリーレストラン版という感じで、「どうせフランス料理なら、もっと本格的な味を」と敬遠する向きもありますが、自慢のパンはお代わり自由だし、店内がゆったりしていて、雰囲気もサービススもなかなかいいのでTarlin & Erillは結構気に入っています。
 いつもならアルコールが入らずには済まないTarlin、今日ばかりは車を運転しているので飲むわけにはいかないので、ノンアルコールビールなるものを注文しました。Erillも少し味見させてもらいましたが、アルコールがないので少し風味が違いますが、確かにビール味。原産国を見ると、ドイツからの輸入品。それにしても、ビールの国ドイツで、それもアルコールに弱い人がほとんどいなさそうなかの地で、どんな人がこれを消費するのでしょうか?今日のTarlinのように車を運転するため飲めない人か?あるいは健康上や宗教上の理由で、飲みたいけど飲めない人のため?同じくビール立国のデンマークで、ノンアルコールビールを口にする人を滞在中についぞ見たことがなかったErill、どうでもいいようなこだわりの壷に入てしまったまま、誕生日のディナーは進んでいったのでありました。

2005年3月8日(火) ノンアルコール・ビール

 パラオから帰国して4日目、旅の余韻は深く、まだまだ「南の島呆け」が続いています。今回の旅で印象的だったのは、何と言ってもパラオの自然の懐の大きさでしょうか。エメラルドとコバルトの結晶のような、これまで見たことのない深い海の色。何より、圧倒されたのは海の中です。ダイビングスポットになっている外洋のドロップオフでシュノーケルをしたのですが、まるで海から涌いてくるような熱帯魚の群れに、何匹といるナポレオンフィッシュ。
 Tarlinはもちろん、シュノーケルを外すとロクに泳げないErillすら、ダイビングに挑戦したくなる光景でした。最近、ピアノづいているErillに、ここぞとばかりにTarlinがはっぱをかけてきます。曰く、「家にこもることばかりせんと、スイミング・スクールじゃ!ダイビングはピアノよりお金がかからん!」と。でも、ピアノに必要な初期投資の楽器代と月々のレッスン料と、ダイビングにかかる機材やら旅費やらを比べると、どちらともいえないと思うのはErillだけでしょうか(・・)?
 『太陽の南』にUPするべく、パラオのページ作成もぼちぼち始めたところで、Tarlinに不幸の電話が・・・ 6日の日曜まできっちり休むはずが、7日緊急出張が入り、Tarlinは前日移動の為、本日夕方4時には家を出ることになってしまったのでした。ゆっくり休んだのですから、仕方ないですね。
かくして、Tarlinの少し早い春休みは、強制的に終止符が打たれてしまったのでした。

2005年3月6日(日) 旅の余韻

 小雨ながらも春らしいぬくもりに、出歩くのが何だか嬉しい今日、Erill、生まれて初めて確定申告に行ってきました。Erillが住んでいる地域の管轄税務署は宇治にあります。バスと電車を乗り継ぎ駅を出ると、早速税務署への案内板が出ています。地図によると、すぐそこの交差点を右に折れて、陸上自衛隊駐屯地の敷地に添って真っ直ぐ、駐屯地の外れに税務署があります。インターネットの前情報では、駅から徒歩10分ほどですが、この絵地図では、そう遠くない感じです。「な〜んだ、思ったより近いやん」と、余裕で歩き始めました。
 陸自の駐屯地は緑豊か。途中、何台かのものものしい黒い車両(海外派遣のニュースで見るようなの)に出くわしましたが、木立の向こうにグランドやらプールやらが見えて、何やらのどかです。道路と敷地の間には堀があって、鴨まで泳いでいます。なかなか、歩いていて楽しく、「これなら、税務署まで気分的にはあっという間じゃん」と余裕でした。
 ところが、この敷地、行けども行けども終わりません。やっと中ほどと覚しきところで門があり、2,3人の自衛隊員が、ものものしく警備しています。まだか、まだかと思いながら歩き続け、ようやく敷地の端の交差点が見えてきた所で、「確定申告会場」の看板が立っていました。ところが、Erillの目的である「給与所得、税金還付申告はこちら」と、何やら別の会場を指し示す看板も立っています。それも、矢印がどちらに行ってよいのやら分からない方向を向いています。仕方ないので交差点を右折して、税務署まで行くと、また同じ矢印だけの看板が。やはりよく分からないので、税務署の玄関まで行くと、やっとその別会場を示す地図が掲示されています。その別会場とやらは、交差点まで戻り、道を渡った向かい側の料理屋の4階。はっきり言って、かなり不親切です。もっと早い地点でこの地図を貼っていてくれれば無駄足を運ばずにすんだのに、かなり戻らねばなりません(-_-;。
道を渡ってからがまた一苦労。建物の所までは来た物の、その料理屋さんの入り口が異様に分かりにくいのです。人の流れはとぎれとぎれだし、ようやく人に聞いて辿り着くことが出来ました。お役所仕事とはいえ、何とかならないのでしょうか。
 確定申告の会場の係の人は、とても親切で、Tarlinが事前にインターネットで書類を作っていてくれたので、初めてでもスムーズに終わりました。まあ、次からは迷わなくて済むので、よしとすべきなのでしょうか。

2005年3月11日(金) 確定申告に行く

 寒さも東大寺のお水取りまで、と言われる関西。お水取りの真っ直中なのに、昨日は雹が、今日は雪が舞っています。
 この温度差でErillは少し風邪気味ですが、3月は来週以降いろいろと予定が立て込んでいるので、一足先にお彼岸のお墓参りを済ませようと、Tarlin母様もいっしょに奈良の南にあるTarlin家の墓所に参ってきました。雪は一向に止まず、葛城山系は白に染まっています。Tarlin家は神道なので、お墓のことは「奥津城(おくつき)」と称します。Tarlin家の奥津城は葛城山の麓、大和三山の畝傍、耳成を見下す、まほろば的風景の中にあります。道すがら雪の舞う中を、梅が紅白に咲き匂っています。
 神式の作法は、親元が弘法大師のお膝元、真言王国の四国出身のErillにはいろいろと新鮮です。お供えは式微ではなく榊。仏式は墓前ではそのまま手を合わせ、まかり間違っても柏手を打ってはいけませんが、神式は二礼、二拍手、一礼。人も自然も神も、同じ御魂なんですね。仏教渡来前から日本人が持っていた自然観に還元される死生観が、こうした形で受け継がれているのか、と思う場面です。
 帰る途中、お昼時になったので、ちょうど道沿いに見えてきたラーメン屋さん、「神座(かむくら)」に入りました。道頓堀が本店のお店で、Tarlinは何回か会社の飲み会の後で食べたことがあるそうですが、Erillは初めてです。ねぎたまごラーメンを頼みましたが、あっさり醤油系ながらもこくのあるスープに、つるりとこしのある麺が美味。また食べたくなる味でした。白菜とねぎもたっぷりで、ヘルシーです。
 そしてその後、ラーメンのあまりのボリュームに、夕方になってもなかなかお腹が空かず、特に最近胃がもたれやすくなっているくせに人一倍食べるErill、胃のもたれが解消し、夕食を食べられるようになったのはNHKの大河「義経」が終わってからだったのでした。でも、また行ってみたいです、「神座」。

2005年3月13日(日) 神式の墓参

2005年3月19日(土) マリンバ 〜それは神業〜

 今日は、お家の近くのけいはんなプラザに種谷睦子さんのマリンバコンサートを聴きに行ってきました。 マリンバのコンサートは Erill も Tarlin も初めてなのでとても楽しみにしていました。
 演奏は驚きの連続。 どのようにしたら2本のマレット(いわゆる「バチ」のことです)からあれだけの音が繰り出されるのか見ていても不思議なくらいです。 曲の合間に種谷さんがマリンバのことについて色々なお話をして下さるのですが、その話によると、「マリンバはヴァイオリンなどと違って、とりあえず音が出るのでとっつきはいいけれども、どのようにして音をつなげるかが難しい・・・」らしいのです。なんでも速いときには1秒間に12〜13回程度も打鍵されているとのこと。もうそれは、我々にとっては神業の領域でした。 マリンバについてその歴史や楽器の特徴など色々なことをこの演奏会を通じて知ることができました。これらについては、是非・是非「星の竪琴」に掲載したいと思っています。(・・・本当でしょうか?)
 さて、それはさておき、我々は4月より Tarlin のお仕事の都合で一時、福井市に在住することになります。で、当面の生活に必要なものを明日、福井へ持って行くことにしているのですが、幸い、同じ町内に住む姉夫婦の家に余っている折りたたみ式のテーブルがあるとのことで取りに行きました。すると、つい最近、小学校を卒業した姪っ子の卒業文集を見せてもらいました。卒業文集と言えば、そう「将来の夢!!」、色々ありました将来の夢。 うーん、いいですな「夢」。子供たちの特権と言えましょう。 既にどこかでボタンを掛け違えた Tarlin には眩しい言葉です。 しかし、世相を反映しているのでしょうか。 Tarlin の世代では考えもよらなかった職業がいっぱいありました。しかし、「農林水産省の役人」と書いた彼には、そのわけを是非聞いてみたいような気がしたりしています・・・。
 

2005年3月23日(水) タコ出撃 そして勝利

 先日の日曜日は、4月からの住まいとなる福井市に生活の準備に行くなど慌ただしい一日を過ごしたりしていたのですが、実はその間も、Erill はまたも、あのにっくき「おでき」と秘かに闘っていたのでした。近代医学を信奉する Tarlin の「早く医者に行って切ってもらいなよ」という言葉を端から無視して、「タコに頑張ってもらう」と言い放って実際にそうしていたのでした。「タコ」・・・そうです、2月20日(過去Diaryを見て下さいね)我が家にやってきた、おできの特効薬(?)「タコの吸出し」です。
 して、その効果は如何? なんと、おできが破裂して薬効通り、膿が踊りでてきたそうなのです。 そして今日、嬉しそうな顔をしているErill より破裂口も閉じ、おできは消え去ったとの戦勝報告を受けました。 うーーん、確かに医者に行くよりもはるかに安上がりに、そして Erill も悲鳴を上げることなく傷を癒す「タコの吸出し」 なかなかの強者ですな。 しかし、Erill のおできとの闘いはいつまで続くのでしょうか。 ブラックジャック先生に診ていただくしかないのでしょうか?  

 今日も、福井のお家の生活環境を整えるべく、自動車に所帯道具を満載して、長駆、福井まで出かけて行きました。 お天気も良く絶好の引っ越し日和です。 ですが、それが災いして敦賀あたりまで辺りまで行ったところで、「天気もいいし、越前海岸を通って行ってみよう。」ということで高速道路を降りて、碧い海の気持ちいい越前海岸を「蟹の季節に来たいね」などと煩悩にかられながらドライブしたのでした。で、そうこうするうちに「東尋坊29km」などという標識が見えてきたりもしたので、「東尋坊へ行ってみよう」と、すでに本来の目的を忘れたかのように小旅行となってしまいました。 Tarlin は東尋坊は既に何回か行っているのですが、 Erill は初体験ということで、妙に浮かれていました。
 東尋坊に着くと、当然の事ながら自動車を駐車場に駐車させることになります。500円の駐車料を払って駐車させたまでは良かったのですが、自動車から降りてロックをしたときに思いました。「まるで、夜逃げやな・・・」 そうなのです。どこでどうなったのか、今日の本命はお引っ越しだったのです。自動車には後部座席にも所帯道具が満載されているのです。他の人が我が自動車を覗き込んだら、いえ、無理に覗き込まなくても、観光地には不似合いな怪しい自動車が止まっていることに気付くでしょう。 相変わらず呑気な Erill は 人の危惧をよそに「布団とか持ち込みで旅行して,宿代をまけてもらおうとしている人に思ってくれるんじゃない?」などと、どうすれば、そのような幸せな発想ができるのかと内心羨ましく思いながら、岩場へと向かったのでした。

2005年3月27日(日) 呑気なお引っ越し

 Tarlinはいつも通りお仕事、Erillは奈良で研究会があったこの日の宵、我らが一族(?)にとって、大変重要なイベントがありました。高2になるTarlin姪っ子が入っている吹奏楽部の定期演奏会です。最近は、高校の音楽系部活動も定演をするんですね。ブラスバンドの演奏会ってどんなんだろう?と音楽好きのErillは研究会を早々に切り上げ、そして、その昔、中学高校と吹奏楽部でサックスを吹いていたTarlinも、これは捨て置けないと、大阪から仕事を切り上げ会場にかけつけました。
 会場の文化パルク城陽は、3階席まである一大ホールです。音響も良く、先日マリンバの演奏会があったけいはんなプラザのホールより音楽ホールとしては遥かに優れています。
 演奏会の幕が開けました。姪っ子さんのパートはトランペット。真剣な表情で、演奏に集中しています。Tarlinから中学・高校の吹奏楽は指揮者で決まる、と聞いていたのですが、本当でした。一曲ごとに指揮者が交替し、そのたびに演奏が面白いほどがらりと変わります。「へえ。」と感心しているうちに、オーソドックスな吹奏楽曲が中心の第1幕が終わり、ポピュラーな曲目が中心の2幕へと移っていきました。
 昨夜、姪っ子ちゃんにホールへの行き方を聞くために電話したErill、「明日演奏会やね、どう?」と尋ねたら、「ちょっと緊張してる。目立つ役やから。ソロも少しあるし。」と少しそわそわしていたので、Tarlinと2幕あたりでソロをやるのかな?と舞台を見つめていましたが、姪っ子さんの姿が見ありません。と、ディズニー・メドレーが始まり、「ハイホー」のメロディーに乗って、ミッキーやドナルド・ダックなどディズニーのキャラクターに扮した女生徒が4人、スキップをしながら現れました。その3人目、手作りの赤いシャツと黄色いズボンに蜜壷を抱えて、熊のプーさんに扮している女生徒こそ、誰あろう、我らが姪っ子ではありませんか!彼女のスキップは、動作が機敏で溌剌とはずんでいて、小柄なためとってもキュートです。それに、本当にお世辞でなく、リズム感いいのです。
 「おお!やるやん!」と思ってみていると、音楽に合わせて踊るだけでなく、トランペット席に戻って演奏するは、音楽の合間に寸劇するは・・・なるほど、これは目立ちます。それどころか、相当な活躍です。ただみんなの中で演奏するよりも、よほどプレッシャーは大きいと思われますが、よくこなし、台詞も落ち着いているし、何より踊りが上手なのに感心してしまいました。
 それにしても、驚いたのは、生徒達の企画力。ディズニーから尾崎豊、ドリカムのメドレーへと進む演目もさることながら、音楽に、ダンスや劇など部員自らが企画したオリジナルな演出が織り込まれ、楽しく飽きさせません。さらに印象的だったのは、どの子もとても真剣で、高校生らしい清々しさがあふれていいたことです。10代を謳歌しているようなステージに触れ、TarlinもErillもとても爽やかな気分になったのでした。
 思えば、自分達は高校時代何をしていたのか?Tarlinは吹奏楽部として、Erillは文芸部で短編や詩を書くアンニュイな日々・・・(-_-; しかし、「文学少女」も、あの多感な時期だからこそ出来るのだと、30代の今だからこそはっきり思えるのです。

2005年3月29日(火) 姪っ子の演奏会

 真っ青な海にとげとげしく突き出た岩場は壮観な風景です。この岩は安山岩からできており、それが柱状節理を形成しているためにこのようなとげとげしい光景を醸し出しています。 初めてのErillは、奇岩の面白さに感心しているようでしたが、 Tarlin は、少し別のものを探していました。 それは、「命の電話」です。東尋坊は自殺の名所(?)だそうで、以前、訪れた時には、「命の電話」と書かれた電話ボックスがいくつかあったのを記憶していたのです。それを Erill に見せてあげようと(Erill は「そんなんいらん」と言っていましたが)
 

探していたのでした。 ところが、以前とはがらっと光景が変わっていて見当たりません。それはそれで結構な事なのですが・・・。しかし、やっとのことで見つけたところ(見つけるなよって感じですが・・・) 「命の電話」ではなく、「救いの電話」になっていました。以前は、カウンセラーの所にかけられるように電話番号とかも書いてあったように記憶しているのですが、現在は、「旅先からふる里へ電話してみませんか」と書いてあります。この辺も当節の経費節減の影響なのでしょうか?世知辛いものですね。
 そんなかんだで、東尋坊を満喫した後は、せっかく、ここまで来たのだからということで、ウニ丼を食して、帰途についた ん? いえいえ、本来の目的を果たすために、新しいお家へと向かったのでした。