2005年1月
睦月

2005年4月4日(月) ソースカツ丼

 Tarlinの仕事の都合で4月から半年間、福井に暮らすことになった我々、3日日曜に福井市内の住まいに入りました。仮住まいの上、週末やTarlinが大阪で仕事がある時は、京都に帰ることにしているので、家財は必要最低限の物にとどめたいものの、京都から持って来られなかった物を若干買いそろえなければなりません。翌4日はTarlinも有給を取り、ホームセンターやスーパーを回りました。
 
福井に来て2日目のお昼、買い込んだばかりの食材で料理をしてもいいのですが、さすがに慌ただしいので、せっかくだし、福井名物の「ソースカツ丼」を賞味することにしました。Tarlinは出張で何回か食べているのですが、Erillは初めてです。
 ソースカツ丼は、「ヨーロッパ軒」という洋食屋さんの名物メニューです。本店は福井市中心部ですが、支店がけっこう近所にあったので、そこに入ることにしました。メニューにはソースカツ丼の文字はなく、ただ「カツ丼」と書かれています。このお店でカツ丼といえば、ソースカツ丼なのです。
 Erill、数年前梅田の地下で食べたソースカツ丼を思い出しました。ファーストフード的なチェーン店で、白いご飯にキャベツとトンカツを載せソースをかけた、トンカツ定食を一つの容器にまとめただけの、何の工夫もない味。はっきり言って、今ひとつだったので、今回はどうだろうと思ったのですが・・・
 出てきたソースカツ丼は、白いご飯に豚カツを載せ、ソースをかけただけの、いたってシンプルな物。キャベツのような味を邪魔する物は載っていません。カツを食べてみました。スパイスで味の付いた衣が香ばしく、カツもソースも、ご飯ととてもよく合っています。カツが2枚も入っていて、結構なボリュームだったのですが、美味しくてペロリと食べてしまいました。
 Tarlinの話では、「ふうん、こんなの」で終わる人と、「しばらくたったら、また食べたい」となる人と二通りに分かれるようですが、TarlinもErillも後者、またあのソースと衣のハーモニーを味わいたくなりました。また、外食の方が都合がよい時に、食べに行きたいものです。

2005年4月7日(木) 神戸のフェルメール

 3日から福井にやって来たTarlinとErill、4月中はTarlinの残務処理があるため、半分は関西に居なければなりません。今週も、引っ越したばかりですが、6日夜から週末10日まで京都の家に帰ることになりました。折しも、桜がほころび始めています。一月前、東京在住のErillの友人が桜の頃に関西に来たいと言っていたのを思い出し、連絡を取ってみると、まさに翌7日から京都に行く予定とのこと。7日の日中会うことになりました。お天気はあまり好くなさそうだし、フェルメールが好きなこの友人、もともとこの日は神戸の兵庫県立美術館で開催中のフェルメール展を見に行く予定だったそうなので、同じくフェルメール好きの私もいっしょに行くことにしました。
 今回のフェルメール展、正確には「ドレスデン国立美術館展 - 世界の鏡 -」。タイトルの通り、ザクセン公国の都であったドレスデンの文化遺産の全容を紹介する物で、絵画だけでなく、マイセン陶器、装飾品、天球儀など科学関係の展示品があり、楽しめました。絵画は、レンブラントの「ガニュメデスの誘拐」、フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」等のネーデルラント絵画が充実していましたが、ほかに、ドイツ・ロマン主義絵画の代表的画家フリードリッヒの代表作が何点か来ており、ロマン主義の神秘哲学をそのまま絵にしたような、ある種特異な作風に直に触れられ、興味深かったです。多彩で質の高い展示に、福袋に好みの品がいっぱい入っていたような、ちょっと得をした気分で美術館を出ました。
 その後、友達が宿を取っている京都にJRで出たのですが、この日の暖かさで桜が一気に開き、沿線はところどころ淡いピンクの花に彩られていました。京都で友達と別れ、一人家に帰るバスの車窓からも、近所の公園に桜が花霞になっているのが見えます。この週末は天気が好いとか。絶好のお花見日和になりそうですが、我が家はTarlinの花粉症がひどいため、この春の桜はあきらめざるをえない状況。Erillも、花粉症寸前なので、仕方ありません。車窓からのつかの間の花見を楽しんで、春の一日は暮れたのでした。

 今日は、シンフォニーホールへコンサートに行きました。演目は、「宇野功芳のすごすぎる世界」 知る人ぞ知る「辛口」というか「個人的偏見たっぷり」な音楽評論家「宇野功芳先生」が自ら大阪フィルハーモニーを指揮して、先生曰く「現代のあっさりした演奏ばかりの音楽界に一石を投じる」というかなり際物的な演奏会なのです。 実は、Tarlin と Erill は、この宇野功芳先生をうさんくさく見ていました。というのも、先生の書いた音楽評論の本では、私たちが好きな指揮者の演奏を完膚無きまでにこき下ろしていたりされたからです。もうそれは評論というよりも「親の敵?」とまで思わせてくれるような豪快なけなしっぷりで、「夜道に気をつけな メ(_ _) 」とまで思わせてくれるような筆致だったからです。そんな先生が、こともあろうに大阪フィルを指揮して自分の音楽観を披露しようというのですから、つまらん演奏をしようものなら目の前でブーイングをするべくクワイア席を確保して演奏家に望んだのでした。
 で、演奏会はというと・・・ 確かに一石を投じてはりました・・・ タイトル通り、すごかったです。それは、 Erill が必ず星の竪琴にコンサート鑑賞記を書くと申しておりますので、そちらに任せるとします。 で、本題ですが(おいおい、今までのは前振りかよ・・・ そうです)問題なのは我が Erill君です。な、な、なんと、2曲目の途中から、気持ちよさそうに舟をこぎ出したのです。 「オー・、マイ・ガッ!」 一般客席の聴衆からその醜態がはっきりと見えるクワイア席で、一丁事あらばブーイングをしようと勇んで臨んでいるというのに、「それでは、こちらがブーイングものやん」Tarlin は情けなくなり戦意を喪失してしまいました。 途中休憩時にその事をなじると返ってきた言葉は「こっちだって寝たくて寝ている訳じゃないのよ。」 うーん確かにそうですな。 一見納得してしまうのですが、言い訳として成立するのでしょうか。 例えば、授業中に先生から居眠りを注意されて、上述の言葉を吐いたらどうでしょう。 どうなるのか???? 今度、高校生の姪っ子に試してもらおうと思っています。 
 しかし、あんなにレアな演奏を聴いて寝ることのできる Erill も大したものです。やはり大物なのでしょうか。
 

2005年4月10日(日) 寝るな Erill !!

         

 昨日まで冬に戻ったかのような肌寒い雨模様の天気でしたが、今日はやたと青空が覗きました。福井の住まいの横の道は、こぶしの並木になっていて、白い花が、空に向かって手をいっぱいに広げたように、可憐に咲き誇っています。
 さて、4月に入り新年度になったというのに(だから?というとそれまでですが)、HPの更新がしばらく止まってしまっていました。福井での生活は、仮住まいのため必要最低限の物でまかなわれています。とはいえ、現代の生活に情報ツールであるパソコンは必須、ということで少なからずの出費ですが、DELLの通販でノートパソコンを購入、こちらからもホームページを更新できるようHPのデータをコピーし、ホームページビルダーをインストールし、サーバの情報も設定して、いざ福井まで持ってきました。
 物を揃えたり、京都と福井を往復していたりでバタバタしていたのですが、少し落ち着いた今週、4月の日記ページを過去にさかのぼって書き、いざ転送・更新しようとすると、Tarlinが、「しまった、転送できん〜!」 何でも、転送を正しく行うには、各ページのファイル・データだけでなく、ページの構成を示すためHP全体の情報が必要なのですが、それが移せてなかったのです(--;。ゆえに、ページの更新は、再び京都に戻る14日以降までお預けになってしまいました。うーむ、何事も始めの頃はトラブルが多い物です。
 

2005年4月13日(水) 転送できない(>_<)

 14日夜に再び京都の家に戻り、やっとHPが更新出来る状況になりました。今回は22日まで京都です。外はぽかぽか陽気で絶好の行楽日。が、Tarlinの花粉症のため、先週に引き続き家で静かに過ごす週末になりそうです。
 京都に帰ってきて次の朝、まず点検したのは、花壇の雑草。我々の留守中、家を守っているTarlin母様が花粉症で外に出られないため、庭仕事は京都に戻ってきた時のErillの担当なのです。
 花壇は、秋に植えたパンジーが色とりどりに花を咲かせています。ここの大敵は、はこべ。春の七草の一つで、白い小さな花が山野に一面に咲く姿は愛らしく、Erillも好きな花なのですが、花壇では主役の花達の養分を吸い取る侵略者。福井に行く前に、冬の間手入れを怠っていたせいではびこり放題になっていたのを、延々3時間かけて抜き取ったというのに、二週間とたたぬ間に土の中に残った根からまた芽を出しています。ひどい物は(もとい、はこべの立場では優秀なのですが)、10cmや15cmにも茎を伸ばしています。この時期の雑草の、何とたくましい成長力!その旺盛な生命力に感嘆しつつも、ほとんど半狂乱で(?)はこべを抜き取ったのでした。
 はこべを抜くために、パンジーの外側に植えているアリッサムの根元を辿ると、手に何やらぬめった物体が・・・ ナメクジです。思わず、「うう゛ぇ〜!」と声を上げそうになりながら、アリッサムの根元を一つ一つ点検すると、湿った土の中に気持ちよさそうに埋まっている子ナメクジが、そこここにおわすではありませんか。再び半狂乱になりつつも、殺生するにはしのびないので、向かいの溝に投げ込み、除去すること10匹弱。うち、一匹は白いパンジーの根元についていました。アリッサムは花が小さくて、ナメクジに食べられているのかどうか分からないのですが、パンジーを見ると、白い花びらはことごとく食害でボロボロになっています。が、黄色、ピンク、紫といった色の付いた花は大丈夫です。白い花は柔らかく、ナメクジの好物なのでしょうか。
 それなら、いっそはこべの花を食べてよ、と都合のいいことを考えてしまいます。が、自然の摂理は、そこまで人間に都合良く出来ているはずがありません。雑草とナメクジとの戦いは、延々と続くのでありました。

2005年4月15日(金) はこべとナメクジとの戦い

 今日、Tarlin は「初級システムアドミニストレータ」という試験を受けさせられました。 えっ、誰にって? まさか Erill に受けさせられる訳でも無し、宮仕えの悲しさかな会社にです。何でも社員の教育実績をつくるとかで・・・。 しかし、齢3○歳にして、燦然と輝く「初級」という文字はあまりにも気恥ずかしいものがありますな。受験費用も交通費も会社が出してくれるというので、受験する分には、まぁいいのですが、一つだけ心配がありました。それは、受験会場に行って、この「初級」という甘い蜜に吸い寄せられるように中学生とか高校生が大挙して受けに来てたらどうしようということです。十代の受験生の中にぽつねんと3○歳の Tarlin。 想像するだに寒すぎます。「将来なりたいものは?」と聞かれて、「勝ち組」とか答える最近の十代。きっと、3○歳の Tarlin を見て、リストラ寸前。 いや、既にリストラされて、何でもいいから資格を取ろうとしている悪あがきのおっさんに思われるに決まってます。
 そんな変な意味での不安を抱きながら受験地である同志社大学(御所の傍ではありません。京田辺キャンパスという僻地です)へと向かったのでした。 で、試験会場に入ると、十代とはいいませんが、学生風情が多いのは事実でした。 それでも、当初抱いていたプレッシャーからは若干解放された気分でした。きっと、彼らも就職の履歴書に花を飾ろうと思っているでしょう。 しかし、次なる不安。 それは、これは試験、すなわち“落ちる”ということもあり得る。 で、落ちたら、それは自分が 初級未満ということを公然と白日の下に曝されることになるのでは、あるまいか? しかし、初級未満って何だ? 「幼級?」 「曙級?」 「魁級?」・・・ まぁ、何はともあれ、「初級未満」であることに間違いはありません。 会社の経費で受験している以上、結果を報告することは避けられません。ということは、落ちたら。 「Tarlin君は初級未満だそうだ。」 「Tarlinさんって初級になっていないんだって」などと噂されるに決まっています。 下手すれば、それこそリストラの口実にもされかねません。 こんな訳のわからない心配をしながらの受験は明らかに不利でした。
 いずれにしても、こんな試験のネーミングは止めて欲しいものです。 「システムアドミニストレータ2級」とか「A種システムアドミニストレータ」とか「乙種・・・」、「1種・・・」、何でも表現のしようがあろうというものなのに、よりによって「初級」とは・・・。 落ちた者の身にもなってほしいものです。 そして仮に合格したとしても所詮は「初級」です。 世間様に向かって、「私 Tarlin は初級です。」となかなか胸のはれるものではありません。 Erill などは、「私は英検準1級合格だよ」等と常々 Tarlin に向かって自慢をしたりしますが、「私は、シスアド初級だっ」と叫んでも、きっと Erillは恐れ入ってくれそうにはないでしょう。(トホホ・・・)
 まぁ、繰り言を言っていても仕方がないので、あとは運を天に任せて、せめて合格することを祈る日々が続きそうです。
 

2005年4月17日(日) 初級(未満かも)のTarlin

 今夕は大阪のフェスティバル・ホールで、コンサートです。昼間は何も予定がないので友達に連絡しようかと思ったのですが、先週末から風邪気味のErill、長時間おしゃべりすると治りかけた喉の痛みがまたつらくなりそうだったので、今回は諦め、一人堂島のジュンク堂でソナチネの楽譜を買って、Tarlinと落ち合うべくホールに向かいました。
 今日のコンサートは、優しくナチュラルなソプラノが魅力のサラ・ブライトマンを主役に、笙・篳篥の東儀秀樹、二胡のチェン・ミンが共演するという渋くも華やかな顔ぶれです。人気アーチストの共演に、何時間も前から待っているのでしょうか、当日券窓口の前には15人以上の人が敷物を敷いて座っています。ホールの中は満席でした。
 コンサートの詳しい様子は後日Tarlin筆の鑑賞記にゆずるとして、今回Erillにとって発見だったのは、東儀秀樹。彼の音楽はNHKの番組テーマ曲や"Feel"などのCDで耳にするものの、オーケストラの音色に雅楽楽器の音が沈んでしまい、正直とってつけたような印象でした。が、生で聴くと、笙も篳篥も微妙な息遣いにより音程や音量が自在に変化し、その際に出るデジタル音源では飛んでしまう空気の揺れが全て伝わっくるのです。オーケストラの響きの中で不思議な存在感を放つその音からは、古代の宇宙が再び現代の空間に拡がっていくようで、心奪われました。
 サラ・ブライトマンの柔らかな歌声の麗しさは言うまでもなく、生で聴くとベルカントを採り入れた発声や情感表現の機微がよく分かります。サラが当たりの役クリスチーヌを演じた「オペラ座の怪人」からの一曲も素晴らしかったですが、ドヴォルザークのオペラ「ルサルカ」のアリアを編曲した「ラ・ルーナ」は、本当に美しく、サラの声に合った繊細な詩情にうっとりしました。
 そして、Erillにとって今夜のとびきりの一曲は、アンコールで歌われたプッチーニの「トゥーランドット」より「ネッスン・ドルマ〜誰も寝てはならぬ」。パヴァロッティの十八番、かなり以前に錦織健がテレビCMで右手を挙げて熱唱していた、あのテノール・アリアの名曲中の名曲です。イントロが流れたとき、「え?本当に歌うの?」と目が点になりましたが、力強い男声アリアは、サラ流の流れるような女声の朗唱に見事昇華されていました。この歌だけでも、今夜は美しい夢を見ることができるというものです。
 4月は二週連続のコンサートになりましたが、Tarlinの仕事がしばらく忙しく予定が読めないので、これで向こう数ヶ月はコンサートはお預け。その前に大きな贈り物をもらった夕べでした。

2005年4月19日(火) ソプラノの“誰も寝てはならぬ”

 前日23日の朝4時前に京都を出て、再び福井へ。朝7時半に福井の住まいに着き、そのままTarlinは休日出勤です。翌24日日曜は貴重なお休み。福井で初めて過ごす落ち着いた休日です。家で疲れを癒すものと思っていると、Erillへの家族サービスを考えてくれたのか、花粉症で桜をのがしたためTarlinも久々に出かけたっかたのか、柔らかな春の青空に誘われるように、どこかへ出かけようということになりました。
 福井近郊の名所といえば、永平寺と東尋坊。東尋坊は先月行ったところだし、今回は永平寺へ詣でることにしました。福井駅からえちぜん鉄道に乗り、永平寺口へ向かいます。車窓から両脇に立て込んでいた家がだんだんと少なくなり、水を張った田植え前の田んぼと野山の景色に変わってゆきます。遠くに雪を被った峰峰が連なっています。北陸の春の風景です。
 えちぜん鉄道は可愛らしい路面電車。駅のたたずまいも童話的で、いい雰囲気です。永平寺口からは京福バスに乗り換え、永平寺門前へ。通用門から入ると、すぐ前の吉祥閣という大きなコンクリート壁の建物の講堂に集められ、雲水(修行僧)の方から境内の説明を受けます。それから、順路に沿って自由に境内を廻ります。
 修行道場であるため、簡素ながら凛とした佇まいです。建物を結ぶ回廊の廊下は、雲水の手によってピカピカに磨き上げられ、その上を歩くだけでも身が引き締まるようです。実際、境内で雲水を見かけることが多いのですが、背筋がぴんと伸び、履き物のを履いたり合図の鐘を鳴らす所作も美いその姿に、日常生活の全てを修行とする禅の教えを徹底して体に叩き込む修行の厳しさを見るようした。
 参詣を終えると、一時過ぎ。俗人には空腹の頃です(雲水達も三食はとっていますが)。門前町の食堂で、名物の団助のごま団子とお蕎麦の精進料理を食し、再びバスからえちぜん鉄道を乗り継いで、今度は勝山に向かいました。遠くの雪山の姿がだんだん大きくなり、間近に雪解け水をたたえた九頭竜川が流れています。勝山で降り、平泉寺白山神社に行くつもりが、接続するバスがなく、タクシーは片道1800円!諦めて、九頭竜川の方に延びる道をぶらぶら歩くことにしました。川には立派な橋がかかり、その隣を川幅いっぱいに渡された鯉のぼりが泳いでいます。そして、その奥には雪を被った白い山々・・・ 絵に描いたような風景にしばしみとれ、再びえちぜん鉄道で福井に引き返したのでした。
 夕食は、近所の大型スーパーに入っている地元水揚げの魚介を扱う店で買ったお造り。ハマチや甘エビなど、甘くてとろりとした身に、お魚所を実感しました。スーパーの鮮魚コーナーは輸入品ばかりで、少しがっかりしていたのですが、このお店のおかげで北陸の海の幸を楽しめそうです。「福井」を満喫した休日でした。

2005年4月24日(日) 永平寺に行く

 ゴールデン・ウィークが始まりました。巷では企業によっては10日連続の大型連休との話題でもちきりですが、今回の黄金週間、我が家には何の縁もありません。平日Tarlinは福井で働きづめとなるため、まったく普段通りの生活。Erillは一昨日から何故か季節はずれの風邪を引いてしまい、夕方になると微熱を出している有様。予定では昨日か今日、少しでも祝日気分をと、やはり休日返上で福井に出張に来ているTarlinの同僚を家に招いて、手巻き寿司パーディーを方するはずが、Erillの体調不良であえなく立ち消えでしまいました。
 仕事が一段落したところで代休をと取り、どこかへ行きたいところですが、いつ仕事が収まるかわからず。こんなだから、日本の現場では事故が絶えないんだ、と昨今の事故の悲惨なニュースに思ってしまうErill。多少のルーズや不便を許容しても余裕があった方が、世の中生きよいと思うのですが、一度そういうシステムになってしまったものを緩めようとすると、また問題が起こるのでしょうね。
 普段の時間が淡々と流れる中、ふと思ったことでした。

2005年4月30日(土) 無縁の連休