11月になりました。これから時雨ることが多くなる福井ですが、今週はまずまずの天気。晴れた日には、遙か北の空に夏は霞んで見えなかった白山が再び姿を見せています。10月の終わりには冠雪した頂が、澄んだ空に白く輝いています。
 今日も青空が拡がり気持ちのいい土曜日ですが、Tarlinはやはりお仕事。Erillは、そんなTarlinを一人置いて、9日日曜日の祖母の三回忌のために徳島まで2泊3日でお里帰りです。朝8時過ぎに自宅最寄り駅を出、敦賀で特急雷鳥に乗り換え、越前と近江の国境の山を越えます。車窓から紅葉の始まった美しい山の風景が見えると思いきや、黄色くも赤くもなく、鈍く茶色がかっています。白く霞む琵琶湖の脇をかすめ、さしかかった京の都で散見する楓の木。紅葉の始めの明るい黄色から淡い橙色は見あたらず、何やら茶枯れています・・・今年の紅葉が心配です。10時半に大阪着。大阪から高速バスで、淡路島から徳島へと渡ります。晴れ空ながらぼんやり霞み空のため、琵琶湖と同じく、明石海峡、淡路島、鳴門海峡から見る海も淡く白んでいます。それでも、福井の日本海の深い青色と比べると、明るく輝く碧色!パラオや沖縄にはかないませんが、トロピカルなものすら感じます。
 うとうとしている間に、午後2時前、目的地に到着。やはり福井よりも温かく、空も明るく、「南」を感じます。この南国風に惹かれたのか、数日前からこの地に遙か北から南下した客人が現れ、世を騒がしている模様です。「那賀川のナカちゃん」。そう、あの四国の川で沐浴する黒いアザラシのわらべの出没地点は、Erillの実家付近を流れる川の河口なのでした。ちょうどバス停からErill実家に向かう途中なので、迎えに来てくれた両親に頼んで近くを通ってもらいましたが、残念ながら居ませんでした。なんでも一日おきに現れるとかで、今日はちょうど出ない日にあたるのだそうです。帰るまでに会えるでしょうか、ナカちゃん。
 

   
     
2004年5月
2004年5月

2005年11月5日(土) Erill南下する

2005年11月6日(日) 法事に寄す 

 一昨年11月9日に世を去った、Erill祖母の三回忌。実際は亡くなってまだ二年目ですが、仏式では年数を数えで数えるので、亡くなったその年が一年目、翌年の数え二年目に初年にできなかった一回忌、それに続く年(満では二年目)の数え三年目に三回忌を行うのです。朝11時の法要を前に、団子やお供えを準備し、客間の和室の床の間にしつらえた祭壇にばたばたと並べ、座布団を並べます。雨の中、親戚一堂と住職さんが到着。法要が始まりました。
 四国八十八ヶ所の霊場がくまなく点在する四国は、弘法大師をいただく真言宗王国。開祖は空海と呼ぶよりも弘法大師、さらに親しみをこめてお大師さんと呼ぶのが習わしです。はっきり言って、仏様よりお大師さんを拝んでいるかもです。Erillの両親宅も、例に漏れず真言宗。この真言宗、お経が実に難解。「うん○●ばら」「◎○そわか」「◇●▽みったー」と、サンスクリット語の音をそのままいにしえの中国語で記録し、その漢字を日本語で音読みしたような音のオンパレードです。響きはいかにも仏教的、神秘的なのですが、何やらさっぱりちんぷんかんぷん。今回のお経も始めと終わりの、祖母の戒名と「三回忌と行う」ことしか分かりませんでした。
 お経とはこのように音の響きを有り難がるものと思っていたら、数年前、Tarlin方の親戚の仏事で浄土宗のお経を聞く機会がありました。これが、何とも分かりやすい!漢文調で、注意して聞いていると何となく意味が入ってきます。平安末期に法然が開いた浄土宗は、平安前期までの天台・真言の貴族と一部修行者の仏教であったのを、「南無阿弥陀仏」の念仏を広めることで庶民仏教への道を開いたとされていますが、こうした宗派の特徴jはお経にも現れているようです。キリスト教ならカトリックのラテン語ミサと、プロテスタントの現地語ミサの違いでしょうか。面白いですね。
 法事の後、雨の中、家のすぐそばにあるお墓に参り、近所の料理屋でご馳走を上がり、無事お開きとなりました。

 Erill祖母の三回忌の翌月曜8日、徳島から夕方には福井に戻ってきました。朝、徳島を出るとき、あざらしのナカちゃんが出るという川べりを再び通ってみましたが、やはり居ませんでした。それでも土手にギャラリーが数人と、NHKかはたまた徳島のローカル民放か、テレビの中継車が一台、待機しています。う〜む、本当にこんな何もない田舎で、大変な騒ぎです・・・一日おきに午前中の満潮時に現れるナカちゃん、本当は7日午前、法事の真っ最中に中州に出ていたのだそうです。今回は会えませんでしたが、しばらく住み着いているようなら、また機会があるかな?
 那賀川町の町役場、数年前のあざらしのタマちゃんの真似をして、ナカちゃんの住民票を発効するそうです(汗)。HPでもダウンロード出来るそうで、モノ好きErillも何度かトライしてみましたが、アクセスが集中してあえなく断念。報道によると、「住所:徳島県那賀郡那賀川町大字赤池字中州0番地 本籍:オホーツク海」とか(^^;。でも、この那賀川町、来年3月にはお隣の羽ノ浦町、阿南市と合併し、阿南市になることが決まっています。このナカちゃんの住民票はそれまでの限定なのか?それとも合併後は阿南市役所が発効を引き継ぎ、住所が阿南市に変更されるのか?合併後に一度、阿南市役所のHPにアクセスしてみようって、やはりモノ好きですね(^^;。

2005年11月11日(金) ナカちゃん会えず 

 今月のDiary、少し忙しくてなかなか書けなかったので、遡ってUPしています。ようやく中旬まで追いつきました。管理人の日々の記録も兼ねているこの日記、時系列が多少前後するところもありますが、福井の秋を感じた話題を一つ。

 それは、法事から帰った翌日の夕食の買い物での出来事。いつものように、夕方近くとぼとぼと近所のスーパーに出かけたErill。秋の味覚と言えば秋刀魚。10月も後半から油がしたたるように乗り始め、今もその美味は最高潮のはず・・・と思い、鮮魚売り場の季節の魚を集めたコーナーに向かうも、メインスペースを占めているはずの秋刀魚やもうすぐ旬のブリが、全く見あたりません。代わりに、朱と白の何やらごつごつした固まりが、山のように盛られています。接近すると、ごつごつした朱い甲羅、無造作に突き出たハサミと足。札を見ると、「セイコ 3杯980円」 「ズワイ 1杯 ン千円」。そう、旬の鮮魚売り場は、蟹に占拠されていたのでした。去る6日が蟹漁の解禁日だったとか。さすが、越前蟹の本場です。
 一般に「越前蟹」と呼ばれるのは雄のズワイで、それも三国港・福井港で水揚げされたもののみを指すそうです。正真正銘の越前蟹は足に黄色いタグが付いており、大きい物で1杯2万円前後、小型でも1杯1万円は下りません(-_-;。逆に、蟹ツアーを選ぶ時は、この値段を基準にすると本物が食べられるということになります。かように味も値段も贅沢な越前蟹、産地とはいえ、なかなか食べることは出来ません。でも、福井では蟹は冬の食卓に欠かせない味覚とか。
 どうするかというと、雄のズワイではなく、雌のセイコを食べるのだそうです。体が小さく、外子と呼ばれる卵のつまったセイコは、地元の人の表現を借りるとズワイよりも味が濃く、それがたまらないのだそうです。「越前」はブランドなのか、やはり味が勝るのか、山陰産よりも越前産のほうが値が高く、山陰産セイコが2〜3杯1000円なのに、越前産は1杯で1000〜2000円します。1週間も経つと、「蟹解禁祝賀モード」も落ち着き、蟹の売り場面積も半分になり、旬の魚コーナーにブリや秋刀魚、牡蠣が戻ってきました。
 水産資源保護のため、1月始めで禁漁になるセイコガニ。福井にいる間に食べない手はありません。しかし、Tarlinに「買ってみようか?」というと、「いやじゃ。三国港か越前海岸に捕れ立て・茹で立てを食べに行く!」(-_-;。口に出来るのは、まだ先になりそうです。
 
 アザラシの「ナカちゃん」の住民票、HPでやっとGetしました。12日のdiaryで、那賀川町の「ナカちゃん住民票」が来年3月の阿南市との合併後どうなるか?と書いたのですが、役場での窓口での発行は18日までだそうです。ということは、合併までの那賀川町限定の記念品で、合併後はきっとなくなるんでしょうね。しかし、こういうニュースに触れるたびに思うのですが、自然保護の観点からは保護して本来の生息域であるオホーツク海に返してやったほうがいいのではないでしょうか。アゴヒゲアザラシ、環境適応力はあるようですが。う〜ん。
 福井の秋から話題がそれましたが、カニとアザラシ、ともに海洋生物ということで・・・

2005年11月15日(火) 海洋生物 2題 

 11月も第2週。冬の北陸特有の時雨がちな日が多くなりました。それでも、3日に一度は快晴の日が巡ってきます。今日も、晴れやかな青空。これからの季節、こんな青空はもう数回もないかも、と思うと家にじっとしているのが惜しくなります。折しも、福井の紅葉の名所である九頭竜(くずりゅう)湖が紅葉の見頃を迎えているとか。本日も休日出勤のTarlinには悪いし、ちょっと淋しいなあと思いながらも、Erill、せっかくの機会を逃すまいと、一人で九頭竜湖まで出かけることにしました。
 九頭竜湖は、九頭竜川の上流にある大きなダム湖。日本百名山の荒島岳の麓をめぐって更に奥へと入り、岐阜県との境界の手前にあります。福井からはJR越美北線(愛称「九頭竜湖線)というローカル線が延び、「紅葉列車」として親しまれています。Erill、この機会に紅葉列車を体感しようという訳です。

2005年11月13日(日) 九頭竜湖探勝 

 時雨がちの暗い日が続いていましたが、本日は朝から穏やかな晴天。北の空には、雪を抱頂いた白山の白銀の峰が、くっきりと浮かんでいます。
 本格的な冬の到来を前に、もう何度あるか分からない晴天。せっかくなので、前から一度行ってみたいと足羽山の麓にある橘曙覧(たちばなあけみ)記念文学館を訪ねることにしました。ちょうど、Erillの魔法使い修行と関係のある「杉原丈夫と民話の世界」展も催されています。今週は夜勤のTarlin、昼間は時間があるので誘ってはみたものの、流石に全く興味のないご様子(-_-;。Erill一人で心おきなく(?)出かけることにしました。
 1時間に3本の市電に乗ろうとするも、最寄り駅に着くと、折悪しく市電は出てしまった直後。2駅で5分足らずの区間のために、20分待つのもどうかと思い、歩いた方が早いかも、といっそ歩いてみました。車の多い通りと住宅地の面白くもない道を延々と歩くこと40分、次の市電を待った場合とほとんど変わらない所用時間で文学館に到着しました(-_-;。
 文学館は、足羽山の麓の愛宕坂という、石段に白壁の家並みが続く風情に満ちた一角にあります。杉原丈夫は、大正3年に生まれ、福井大学で哲学の教授を務める傍ら、民俗学への造形も深め、福井の民話・伝説の収集の草分けとなり、平成11年に没した方です。各地で集めた民芸品、自筆原稿、福井県内の民話の分布図などが展示されていました。本があれば買おうと思っていのに、あいにく売っていませんでした。残念。
 橘曙覧は、幕末の福井に生きた歌人で、商家の長男ながら家督を弟に譲り、隠棲生活を送りながら、学問に親しみ、歌を詠んで生涯を送ったそうです。1994年の天皇皇后訪米の際、クリントンが橘曙覧の「独楽吟」という歌のシリーズから「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲けるを見る時」という一首を引用したことで、広く知られるようになったとか。何となく聞いた覚えがあるような、ないような。つつましい心のありようが伝わってくる、味わいのある歌です。クリントン元大統領の手紙、生涯や「独楽吟」全首を紹介するパネルなどがありました。2階の一角に「白山テラス」という広いガラス窓のある部屋があり、夕映えの薄紅に染まる白山を拝むことが出来ました。越前の文学を育んだ風土の一端も見られる、心憎い作りです。
 文学館を出て、帰りの市電に乗ろうとすると、また前の市電が出た直後。しかも、通勤通学時間で急行が止まらないため、路面の乗り場で30分待ち。つくづく電車運のない日でした。

2005年11月17日(木) 橘曙覧記念文学館 

 10時半過ぎ、列車は終点の九頭竜湖駅に到着。可愛いログハウス風の駅舎に、旧式ストーブが待合室で懐かしい温もりをかもしています。ここから九頭竜湖までは5.6kmの上り坂。どうしたものかと思いつつも、本数が少ないこの路線、午後の便は14時代と16時代しかなく、14時の電車には確実に乗りたいので、自転車を借りることにしました。

 午前9時過ぎ、可愛らしい一両編成の列車が出発駅ホームに入ってきました。紅葉たけなわの日曜の列車は満員・・・と思いきや、ほどよく空いています。みなさん、車で出かけるんですね(・_・)。途中、福井豪雨で落ちた鉄橋が復旧していない東郷〜美山間は代行バスに乗り換え、再び列車で大野盆地へと入ります。が、目に入る楓は茶色く、盆地を囲む標高700〜1000mの山肌は、遠目にもすでに落葉し、小枝が目立っている様子です。ずっとこんな調子なのかと心配に駆られましたが、盆地を抜け、荒島岳の麓を九頭竜川に沿って少しずつ標高を上げ、九頭竜峡に差し掛かると、赤や黄の明るい色彩と清流の光景が目に飛び込んできました。楓も鮮やかな紅に色づいています。ここまで来て、やっと例年の紅葉に出会えました。

 紅葉は、しかし九頭竜湖駅周辺が最盛期のようで、それより標高が上がるにつれ見頃を過ぎ、標高500mのダムの付近は、残念ながら少し色褪せた感でした。ダムの上を散策し、さらに上流の、眺望がよいとされる「夢の架け橋」まで行こうとしましたが、湖沿いの道は工事中。近道のトンネルも車だけで幅いっぱいで危なそうなので、あえなく断念しました。
 帰りは、、下り坂を自転車で滑り下り、15分足らずであっという間にダムから駅へ到着。名物の舞茸ご飯を買い込んで、14時過ぎの電車で福井まで戻りました。久々の坂道の自転車に、右脚の付け根が痛くなりましたが、秋の自然を満喫した一日でした。
 国道沿いを緩やかな所は自転車で、急な所は歩いて、のんびり紅葉の山々を堪能・・・と言いたいところですが、この国道、交通量がかなり多く、車がひっきりなしに通り、なかなかのスリル(-_-;。
 しかし、色づいた山と渓流の風景は別世界で、その危険を忘れさせてくれます。(忘れてはいけませんが。)こうしてとぼとぼ進むこと1時間、九頭竜ダムに到着しました。橙に染まった山と、ゆったりした湖面の、雄大な風景。 

 夜勤明けの昨日土曜日、福井から京都に2泊3日の予定で戻ってきました。目的は、京都コンサートホールで本日20日催されるマリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団の演奏会。ソリストにバイオリンの五嶋みどりという贅沢な顔ぶれです。Tarlinの要望でロシア物の演奏会が続いたためドイツ物が聴きたくなったErill、5月の発売日の発売時刻にチケットセンターに電話して、お得なクワイア席を抑えました。
 14時開演の45分前、1時15分に会場に入ると、リハーサル中とかでしばらくホワイエで待機。半頃になり席に着くと、チケットは完売だけあって、ほぼ全席埋まっていました。
 1曲目はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」序曲。マリス・ヤンソンスさんのゆったりした落ち着いたタクトから、バイエルン響の緻密かつ、豊かなボリュームの音が鳴り響きます。ただ、少し鳴りすぎて、まとまりきってない感はありました。が、これは私たちがオーケストラの後ろ側であるクワイヤ席に座っていたせいかもしれません。
 2曲目はシベリウスのバイオリン協奏曲。五嶋みどりさんの登場です。小柄な体から高い集中力で紡ぎ出されるその音は、決して大きくはありませんが、緊密な思考に満ち、かつ繊細に歌うのです。哲学的随想を書き留めたような第一楽章、穏やかに冥想するような第二楽章、カレリア組曲を思わせる躍動するようなリズムと美しいメロディーが高まりを見せる第3楽章。思弁的な所は精緻な哲学のような語り口をとり、歌うところは美しく歌いあげる、演奏者の素晴らしい人間的な感性と深い精神性を感じました。
 3曲目はベートーヴェンの交響曲第7番。精密かつ力強い表現、各パートの豊富かつバランスの取れた音量、管も弦も美しく安定した響きで、ドイツのオーケストラの本領発揮といわんばかりの、集中力と躍動感あふれる素晴らしい演奏でした。伝統の力でしょうか。楽団員一人一人の技量の高さだけでなく、楽器もいいのかもしれません。以前、チェリビダッケの指揮で聴いたことのある同じミュンヒェンのオーケストラ、ミュンヒェン・フィルの洗練された響きとはまた一味違う、温かみのある人間的な音色でした。
 アンコールは、「舞踏交響曲」の昂揚を引き継いで、ブラームス「ハンガリー舞曲」6番とビゼー「アルルの女」より「ファランドール」のリズム感たっぷりの楽しく親しみやすい2曲で、最高の盛り上がりの内に幕を閉じました

 演奏会の後、五嶋みどりさんのサイン会がありました。TarlinとErillも慌ててCDを買って、列に並びました。間近で見る五嶋さんは本当に聡明そうな方で、終始穏やかな笑顔を浮かべておられました。
 ホールを出て、少し鴨川を散策。楓並木が心地よいのですが、色づきが悪く、茶色く枯れかけている葉も目立ちました。ニュースでもよく流れてますが、今年の京都の紅葉は、本当にダメですね。美しい音楽の後は、美味しい物。久々の京都、せっかくなので、加藤登喜子さんのご家族が経営するロシア料理店「キエフ」で温かいボルシチやビーフ・ストロガノフを食べて、家に戻りました。豊かな秋の一日でした。
 

2005年11月20日(日) バイエルン放響コンサート 

2005年11月27日(日) ジャンピング・トレイン・トレイン 

 またまた休日出勤のTarlin、金沢・兼六園の紅葉が最盛期とニュースで聞き、Erillまた一人で出かけようかと思ったものの、朝から時雨が続く天気にその気を無くし、家でずっと冬ごもりモードです。
 たまっていた日記をやっと先週日曜日まで更新し、一息ついた夜、職場の人達と呑んでいたTarlinから呼び出しがありました。「カラオケじゃ♪」「へ?他の人達は?」「おるぞよ」。こうしてTarlinの職場のニショカ君とタニロ君といっしょに、カラオケに行くというまたとない機会を得たのでありました。
 三十路過ぎのニショカ君、Erill、Tarlin、三十路を越えた経過年齢が大きい前述の順番通りにレパートリーが古くなっていきます。そんな三十路イSを尻目に、大学を卒業したばかりのフレッシュなタニロ君、アップテンポの最新ヒットを披露してくれます。次はタニロ君の順番なのに、予約曲が入ってないので、「次、入れて下さいね。」と全曲カタログを渡すと、「あ、はい。でもこちらから」と、Erillが廻した全曲カタログではなく、ぺらぺらの「最新曲集」を手にとって、曲を探しています。う〜ん。ぶ厚い全曲カタログから、往年の曲を血眼になって検索している我々三十路イSとは、さすがに違います。タニロ君は、歌を全て最新曲集から選んでいたようでした。
 みなさんぞれぞれ持ち歌を披露し、そろそろ佳境に入ってきたかと思われるその時、ニショカ君がおもむろに立ち上がって、TarlinとErillとはテーブルの反対側に座っていたタニロ君に立ち退きを命じこちら側に座らせると、椅子を部屋の隅へ移し始めました。こうして、ステージ空間(?)が出現した時、何が始まるのかと思いきや、ニショカ君、懐かしのBlue Hearts「トレイン・トレイン」をノリノリで歌い出し、サビ中のサビのところで、「トレイン・トレイン」と声を張り上げながら、足を前後に勢いよく広げ、全力飛び跳ねておられます・・・(@_@)。 呆然・・・、いや、あまりのおかしさにこの芸を初見のErill、お腹がよじれるほど笑ってしまいました。激しい運動なので、まさか・・・と思いましたが、何と全ての「トレイン・トレイン」の部分を、歌いながらジャンプされ、その意気と体力に感動せずにはおれない一堂でした(;_;)。尚、歌われた後は、燃え尽きておられました。本当にお疲れ様でした。
 こうして、晩秋の夜のカラオケは、熱狂(?)のうちに幕を閉じたのでした。

2005年11月30日(水) チャングム・ツアー 

 11月最後の日。周囲の山が茶色い黄葉に染まる中、時雨の続く一日でした。去年の今頃は、冬に南の島へ渡ろうと、モルジブを目指して予約を試みていました。しかし、予約時期が遅すぎて失敗。行き先をパラオに変更し、モルジブは次回にかけることとなったのです。それで、今年はモルジブ・・・と思っていたのですが、Tarlinが長期休暇を取れそうな来年3月の予定が全くみえません。ならば、早期の予約が必要な南の島より、日程が迫っていても予約が入れられそうな所・・・ヨーロッパかアジア。でも、ヨーロッパなら緑美しい季節に行きたいし、とすれば、アジア。アジアと言えば、ここ数ヶ月『宮廷女官チャングムの誓い』にすっぽりはまっている我々にとって真っ先に浮かぶのは韓国。
 そこでこの際、韓国に行こうと、チャングム関連ツアー情報を少し集めてみました。韓ドラツアーというとロケ地巡りが定番ですが、『チャングムの誓い』の場合、歴史ドラマのため、ツアーで巡るロケ地は撮影用セットの立ち並ぶテーマパークの他、世界遺産の宮殿や伝統的な庶民の村を再現している韓国民俗村。食事も豪華な宮廷料理はもちろん、骨付きルビなども賞味でき、通常の観光ツアーとしても歴史と伝統に触れられる充実した内容です。比べてみた中では、日本旅行のものが少し高めですが、最も充実しています。もっとも、これからまだ新しいツアーが出るかもしれないので要チェックです。
 韓国に行くなら、簡単な挨拶と、ハングルくらい読めるようになりたいと、Erill「ハングル読み書きドリル」なる入門書を購入。暇がある時にちょこちょこと勉強しています。果たして、成果はいかに?
 ドラマの方は、BS本放送は先月で最終回を迎えてしまい少し淋しい思いをしましたが、総合での放送はチャングムが子役から成長し大人になり、面白くなる一方。来月12日からはBSで後半の集中放送も始まります。それに備えて(?)NHKから出ている『ドラマガイド』上下も購入、カットシーンが気になる回はGOOの動画配信でノーカット字幕版を鑑賞、Tarlinに至っては韓国MBC公式サイトの有料会員になり、Erillもいっしょに予告編や名場面を楽しんでいます。う〜ん、こんな生活でいいのでしょうか(-_-;。と思っていると、京都のTarlin母様から一本の電話が。「Erillさん、『1%の奇跡』っていう韓国ドラマ、インターネットの有料配信で見るとお金がかかるから、AMAZONで本を取り寄せてちょうだい。」我が家韓流ブームは、収まらないようです。
 願わくは懸念の新型インフルエンザやSARSの流行が起こらず、無事韓国に行けますように。それまでに、ハングル全文字マスターしたいものです。