はい。 何となく6月に突入。 それにしても何でしょう。 5月はゴールデンウィークを最後に、何となくどんよりした空。 久しぶりに天気予報が高気圧に覆われて快晴などと言っていても、蓋を開けてみると。霞がかかった白っぽい空です。 一体、「五月晴れ」という言葉はどこに行ったのでしょう。
こんな天気に象徴されるかのように、 Erill & Tarlin 家でも、これまでの Diary にも書いているように、色々な事が起こっています。 Erill
は、明日より、入院中の父君の見舞いに徳島へ帰ります。 Tarlin も、明日からは、5日間夜勤して、土・日も働いて、その後、また2日間夜勤して、14日は
Erill父君の御見舞いに飛んで、15日は大阪勤務、そして、16日は発電所と、目まぐるしい2週間を控えています。
しかし、そもそも、Tarlin はどうしてこんなに悲惨に忙しくなってしまったのか? それには、色々と訳があります。 話せば長くなるので、話しませんが、その原因の一つに 某S国が絡んでいます。 そんなこんなで(何が、そんなこんななのかはご想像にお任せいたします・・・) Tarlin
のS国好感度は極めて低い、いえ、限りなくゼロ、いえ、マイナス無限大とも言えるでしょう。 そんな、現状を顧みることもなくErilは、近くのホールで定期映画会で上映されているS国映画を見に行こうとのたまうではありませんか。 まず、Tarlin
は言いたい。 「Erill よ 父君が入院するという非常事態に、暢気に映画なぞ見ておって良いのか。」 でも、まぁ、少しでも気晴らしになればいいかということで、おつきあいすることにしました。映画の題名は、「歓びを歌にのせて」、ケイ・ボラック監督作品です。主題は、音楽を題材にした、私好みの内容ではありましたが ・・・ but
、以前、3月11日のDiaryでも書きましたが、劇団四季の「マンマ・ミーア」と同じく、S国を題材にすると、モラル・ハザードの垣根が低くなるようです。 (-
-); 私たちの後ろでは、お子連れで鑑賞に来ておられたりしていましたが、親御さんは題名だけで、とっても教育的だと思ってしまったのでしょう。 きっと、所々で「オー・マイ・ガッ!!」と思っていたことでしょう。
それは、さておき、 早く、全てが上手くいって、幸せな日々が戻ってきてほしいものです。
仕事の都合で、ずっと東舞鶴にいる Tarlin。 土・日も出勤したりしているので、落ち着いて実家にも帰れません。 仕事も遅れ気味なので、それはそれで仕方ないのですが、一つだけ、気がかりなのは、「このままでは、
Da Vinci Code が見に行けないではないかっ〜」 ということです。 3ヶ月も前から前売り券を買って、原作(原書じゃないよ)はもちろんのこと、数々の謎解き本などを読んで、臨戦態勢を整えているというのに・・・。 「えっ、東舞鶴で行けばいいじゃん。」 との声も聞こえてきそうですが、 映画館は確かにあるし、Da
Vinci Code も上映しているのですが、ちょっと、映画館が古そうなのが気がかり。 最近、シネコンに慣れてしまっているので、前の人の頭が気になったり、逆に、Tarlin
は背が高い(座高が高いとも言えますが)ので、後ろの人に頭を気にされたりするのも辛いし、何よりも、音響がしょぼかったらどうしようなどと、あらゆる不安がよぎるので、いつか、大阪か京都市内でと思い続けて、気がつけば、「このままでは、見損ねてしまうという事態に陥ったのでした。
すると 「このままでは、Tarlin が暴れ出しかねない」と感づいたのでしょうか。 Erill は、いそいそとインターネットの映画情報でお手軽なところを探し始めました。 そこで、見つけたのが、敦賀にあるシネコンです。 東舞鶴から東に向かうこと約100km。 (T_T) しかし、ここが最も近いシネコンなのです。 仕方ありません 「そこ、行こ。」 と決めました。 前日の金曜日は、現場を歩き回ったり、飲み会があったりでお疲れモードに陥っている可能性があるので、21:20
からの上映を Get して、遥か、敦賀まで大遠征しました。 映画館は、なかなか快適でした。 そして、肝心な映画は・・・。 今回の監督は、ロン・ハワード Tarlin
が最も好きな映画監督ですので、とても期待が大きかったのですが、やはり、2時間40分で、あの大作をまとめきるのにはロン・ハワードといえども少し難しかったのかもしれません。 原作+αで前知識を入れすぎていたこともありますが、「それは、演じる必要はないんじゃないの」や「あそこは抜いちゃだめじゃん」とかいうことが結構ありました。それでも、ロン・ハワード特有の人の心の機微は良く出せていたと思います。
そんなかんだで、東舞鶴のお家にたどり着いたのは午前2時。 明日も、お仕事・・・ はぁー。早く、解放されて、どこか旅に出たい・・・
徳島のErill両親宅の前を流れる川で、この時期、夜になると螢が乱舞するといいます。父も入院前に母と螢の灯に見入ったとのこと。螢が一番たくさん見えるのは、川の中州の上にかかる橋の上からとか。父親の入院で帰省したErillも見たかろうと、病院からの帰り、母が橋のたもとに車を止めてくれました。
橋の上を少し中州に向かって歩き、漆黒の流れの上に欄干から身を乗り出し、暗闇に目を凝らすと、岸辺と中州の上に、一つ、二つ、三つ、ほのかな黄色い光が灯っては、すうっと細い線をひいて、消えて行きます。目が慣れるにつれて、岸辺に沿って近くから遠くへ小さな明かりが少しずつ灯るように、光の数は増えていき、しまいには流れを挟んで、川岸と、中州の上と両方に、ぼんやりした幻灯の帯のように、螢の光が無数に浮かんでいます。螢の灯す、はかない光。無常だからこそ美しい生命の輝きを想わずにいられませんでした。
家に着くと、家のすぐ横を流れる谷川に、迷い蛍が一匹入り込んで、長い光の尾を引いています。間近で見る蛍の光は、思ったよりも遥かに大きく、力強い明るさを放っています。心楽しく、勇気を感じるほどです。それにしても、いつからこんなにたくさんの螢が飛ぶようになったのか。10数年前、Erillがいた頃は、そんなにいなかったのですが。環境破壊の進む今日、自然が豊になっていくこともあるのですね。
大腸の手術のために入院したErill父。父親の入院した病院は、5月に新築移転したばかり。名実ともにぴかぴかです。正面玄関を入ると、大きなガラス張りの扉に、木調の床、真新しい白壁。病院離れした綺麗さと、ホテルと見まごうような豪華さ(?)に驚いてしまいます。病院という場所はただでさえ重いので、この明るさは患者にも見舞客にも好ましく快適です。さらに、売店にはローソンが入り、「国際交流室」なる絵本と丸テーブルが置かれた部屋、突き当たりにはアップライト・ピアノが置かれた空間まであります。う〜ん、病気で入院は嫌ですが、完治が確実な怪我で入院するなら、楽しいかも(?)しれません。
父親の部屋は手術を受けるため、個室。これがまた木調のフローリングに、白壁、ソファー(もちろん付き添いの簡易ベッド兼)、トイレ付き。本当にホテルのようです・・・ ErillもErill母と交替で、2晩ほど付き添ったのですが、おかげで快適(?)でした。
手術後すぐは大変な日もあったものも、一週間もすると大分調子もよくなり、この週末には退院が決定。Tarlinもちょうど休みが取れたので、舞鶴からはるばる見舞いに来てくれることになり、ErillもTarlinといっしょにいったん京都に引き揚げることにしました。京都に帰ったら、16日金曜にはTarlinといっしょに舞鶴へ行き、19日月曜にはTarlinを一人残して(;_;)京都に戻って、ピアノのレッスンを受けた後、20日火曜には再び徳島の予定。四国の太平洋側から本州の日本海側へ列島を横断。少し慌ただしいですが、舞鶴では少しのんびり、疲れを取れそうです。
Erill、19日月曜にTarlinのいる舞鶴から京都に戻り、20日火曜には京都から徳島に帰省しました。手術を受けた父も、術後から2週間となり、入院中とは見違えるほど元気になっていました。
元気になっていたのは父だけではありませんでした。父がメインで世話をしている柴犬のもんた(正式名称ノア)。父の入院中は可哀想なほど意気消沈し、元気がなかったのですが、すっかり元の明るい(?)表情をとり戻していました。
回復しつつあるとはいえ、患部が腸なので、食養生は術後3ヶ月まで必要です。基本的には何を食べもよいのですが、ご飯は粥、副菜には繊維の多い物(キノコ、海草、コンニャク、ごぼうなどの一部の野菜)、油分の多い肉類、揚げ物などは避けねばなりません。油脂の多い物は分かるとして、一般に腸にはよいとされる繊維の多い物がだめなのは意外でした。腸閉塞の原因になるのだそうです。
どの材料にしても、できるだけ細かく刻んで、柔らかくするのが鉄則。制限が緩いようで、いざとなると結構メニューが限られてしまいます。結局、野菜のやわらか煮、焼き魚、肉団子、卵豆腐等のローテーション状態(^^;。それでも、美味しいと食べてくれるのですから、ありがたいものです。
健康な者も同じメニューでは退屈になるので、いきおい別に作ることが多くなります。その方が楽な面もあるのですが、手間はどうしても倍になります。入院中ほどではないとはいえ、母はやはり大変そう。う〜ん、やはりしばらくは、できるだけ徳島に帰って手伝おうと思います。
今回は徳島は24日で切り上げて、京都に戻りました。Tarlinも週末なので、同じ日に京都に戻り、26日はErillもいっしょに再び舞鶴です。ふぅ。