Michael Nyman with The Michael Nyman 
          ベスト・オブ・マイケル・ナイマン

平成16年(2004年)6月6日(日曜日)
ザ・シンフォニーホール
15:00開演

座席:1階 J列 27・28番

 もう、相当以前になりますが、トヨタのクラウンのCMで、流麗な曲にのって颯爽と走るクラウンの姿を見ました。 クラウンには全く縁のない身分の Tarlin でしたが、そのバックに流れている曲が走っているクラウンにとってもマッチしていて「いいなぁー」と思いました。 またその時、初めてマイケル・ナイマンの存在を知ることになりました。 そうなのです、クラウンを引き立てていたその流麗な曲の作曲者こそがマイケル・ナイマンだったのです。

 このようにしてマイケル・ナイマンと出会い、これまでに2回コンサートに行って、その音楽の深さに感動してきました。 マイケル・ナイマンの音楽は、非常に裾野の広いもので、一言では言い尽くすことはできませんが、私 Tarlin にとってマイケル・ナイマンは、未だ見ぬイギリスそのものを感じさせてくれるのです。 なんとなくイギリスの郷愁みたいなものをそこに感じてしまうのです。 行ったこともないのに変ですね。 

 前回行ったコンサートから6年という長い年月の間、日本でコンサートが無く、本当に淋しい思いをしていました。ですが、再びマイケル・ナイマンの音楽に触れることができる機会が巡ってきたのです。 恐らく私と同じく、この日を心待ちにしていた方も多かったのではないかと思います。 この日、シンフォニーホールには外国人の方達も多くいらしており、「日本に駐在している方なのかな。」などと思いをめぐらせながら開演を待っていました。

 開演の時間となり、まずは、マイケル・ナイマンバンドのメンバー達が拍手で迎えられ、簡単なチューニングを終えた後、マイケル・ナイマンが一段と大きな拍手の中、ステージに入ってこられました。 6年前に比べて(右の写真は1997年のコンサートでのパンフレットにあったものです)少し身体が小さくなったかなという気がしました。 なんといっても、もう還暦を迎えられたのですから・・・  しかし、その眼の奥深くに湛えられた光は以前にもまして鋭く輝いておられたように思います。

 そして、一曲目の演奏が始まりました。 マイケル・ナイマンのコンサートをお聴きになったことがある方は、きっと納得して頂けると思うのですが、私も3回目のコンサートにして 「やっぱり!!」 と思ったことがあります。 それは、一曲目はバンド全体(特に管楽器)のピッチが少しずれており、どことなくぎこちなく聞こえるのです。まぁ、確かにステージに上がって、ほんの少しチューニングしただけですから、あれでビシッとあう方がとも思ってしまうのですが・・・。 しかし、そこはナイマン先生。 淡々と譜を進めていかれます。 もちろん、マイケル・ナイマン自身ピアノを弾いていらっしゃるので注意のしようもないのですが。 1曲目の終了後、バンドの古株である デイヴィッド・ローチが隣の若手サイモン・ハラムに、「ピッチが高いぞ。」みたいなことを指図していたように思います。こんな風にしながら、今回も2曲名以降は、1曲目とは比べものにならないくらい均整のとれた演奏が繰り広げられていきました。 こんなことも生のコンサートならでは楽しみの一つですね。

 マイケル・ナイマンのコンサートの楽しみの一つに、バンドメンバーの個性を楽しむということにあります。 今回の一押しは、バリトンサックス・フルートそしてピッコロを担当されていたアンドリュー・フィンドンです。とても巨漢で、バリトンサックスを吹かれているときには、その巨体にまかせて、顔を真っ赤にさせながら超重低音を震わせるかと思えば、ある時には、彼にかかっては、もう単なるストローの様にしか見えないピッコロで信じられないくらいの高音を響き渡らせてくれます。まさしく、「高低なんでもござれ。」のフィンドンさんでした。

 このようにして、楽しい一時はあっという間に終わるものですね。 最後のアンコール曲が終わった後は、名残を惜しむ果てしなく続くオーベイションで、この日は幕を閉じていきました。