大阪フィルハーモニー交響楽団
           第376回定期演奏会

平成16年(2004年)3月10日(水曜日)
ザ・シンフォニーホール
19:00開演

座席:C−5・6

指揮: イルジ・ビエロフラーヴェク
独奏: リウェイ・チン(チェロ)

 思えば、この日から遡ること約1年、会社で奉公中のTarlinは、協会正会員であらせられる専務から、大フィルの会員招待券を頂いたのでした。 そして今年も、至宝の招待券はTarlinのもとへと舞い込んできました。 招待券を手にしたTarlinは、奉公中であることも顧みず、これまた大東市住道のとある会社で奉公中のErilに一緒に行けるかどうか尋ねるメールを携帯に入れたのでした。幸いにもErillも無事合流することが出来たのですが、なんと、このようなことを想定していなかったErillは、お世辞にも「演奏会」なるものを聴きに行くという格好をしていませんでした。強いて言えば、つっかけでスーパーに買い物へ・・・ というような風体でした。仕方がないので、Erillはコートを着っぱなしで演奏会を聴くこととなりました。

 また、この日は、偶然にもTarlinが学生時代にお世話になるとともに結婚式で主賓スピーチを行って頂いた恩師の先生とも出会うこととなり、音楽談義に花を咲かせてからの開演となりました。

 まず、指揮者のイルジ・ビエロフラーヴェクさんですが、Tarlinは、中学生時代にNHK-FMで聴いたドヴォルザークの交響曲第8番が今でも忘れられません。ですから、生で演奏を聴けることは本当に幸運でした。

 1曲目は、スメタナの交響詩「我が祖国」の中から「ボヘミアの森と草原から」。 「我が祖国」は、ご当地の指揮者でしか聴かない(本当か?)という信念の持ち主であるTarlinは、まさにボヘミアの風を感じることができた演奏にとても感激しました。木訥とした演奏の中に、決してテンポを急がず、国の山河を愛する優しい情感のこもった演奏でした。なんだか、第二次世界大戦中にチェコを征服したヒトラーが、「我が祖国」の演奏を禁止した理由が分かったような気がしました。

 2曲目は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。チェロのソリストは、中国人のリウェイ・チンさん。まだ、年若く私たちも初めての演奏家だったのですが、心から「うたう」という演奏をされていました。少しだけ、線が細い部分も感じられましたが、それは、Tarlinが、日頃、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と言えば、「ゲーリー・カーのコントラバス版」を家で愛聴しているからかも知れません。

 3曲目はヤナーチェクのシンフォニエッタ。 実は、この日はシンフォニーホールのクワイア席には聴衆が一人もいなかったのです。ずっと不思議に思っていたのですが、この曲が始まって謎は解けました。最初のファンファーレの部分で、金管部隊がクワイア席最上段に陣取って高らかにファンファーレを奏でたのです。この高台から繰り出される金管の音は圧巻でした。・・・確かに演奏している方達も気持ちいいでしょうね。 しかし、このシンフォニエッタというのは恥ずかしながら初めて聴いたのですが、最初から最後まで大音量で責めたてる曲なんですね。

 今回の演奏会。スメタナ・ドヴォルザーク・ヤナーチェクと続いたわけですが、これには大きな意味があります。スメタナが没後120年、ドヴォルザークが没後100年、そしてヤナーチェクが生誕150年とのことなんです。この記念の年にビエロフラーヴェクさんの指揮で演奏を聴くことができて本当に幸せでした。