まず、始めに、今回の鑑賞記は思いっ切り好き放題に書いております。お許しを。

 それは一冊の本から始まりました。「クラシックCDの名盤 演奏家篇」という新書。宇野功芳氏を筆頭に、三人の音楽評論家が演奏家を評価するという趣旨です。Tarlinが購入後、「積ん読」状態になっていたこの本を、ある日Erillが見つけページを開くと、そこには、詩的かつ苛烈な表現が踊っていました。優美で端正な音を紡ぎ出す小澤征爾や、Erillがかつて実演を聴いて非常な感銘を受けたチェリビダッケなどは「ボロクソ」と言ってよい酷評、Tarlinの愛するショルティなどは掲載すらされていません。好き嫌いは別にして、公正にみて優れた点もあるだろうに、よくここまで一刀両断できるものだと、二人で感心するやら、呆然となるやら。反面、高い評価を下している演奏家のページには、それこそ魂が踊るような表現がたっぷり綴られています。自分も好きな演奏家であれば、何度も反芻したくなります。筆力のこもった優れて文学的な文章でしょう。

 それにしても、ここまで筆舌の限りを尽くす宇野氏の理想とする演奏とは、いったいいかなるものなのか?2月の大阪フィルの定期演奏会で配られたチラシの一枚から、衝撃的な文字が目に飛び込んできました。「大阪フィルハーモニー交響楽団 宇野功芳のすごすぎる世界」 え?本当に指揮をするの?半ば、いやかなり驚愕したTarlinとErill、好奇心がむくむくと頭をもたげ、宇野氏の音楽観の真実を知るべく、次の日にはクワイア席のチケットを電話予約したのでした。

 当日
開演45分前から、シンフォニーホールは人でいっぱいです。カフェテリアも込んでいて、席の確保が難しいほど。日曜の午後、ということもあるのでしょうけど、これまでに来たコンサートでもここまで盛況なのは珍しいことです。特に年配の方が多いのは、宇野氏の長年の読者の方々でしょうか。今回の席は、舞台後ろのクワイア席。席につくと、3階席までほとんど埋まっているのが分かりました。

 いよいよ開演です。一曲目は、モーツァルト作曲「フィガロの結婚」序曲です。フィガロの序曲と言えば、冒頭の軽快に駆け抜けるような弦の旋律のあと、管と弦が一斉に鳴って、華やかな幕開けを告げます。そんな軽快なフィガロを期待しつつ、耳を澄ましました。しかし・・・「ん、うねってる?」 聞こえてきたのは、不思議なポルタメントがかかり、長音がやたらと伸びたメロディーです。擬態語にするとこんな感じでしょうか。「にょわわわわ〜 にょわにょわにょわにょわ にょわにょわわあ〜 にょわにょわにょわにょわ にょわにょわにょわにょわ にょわにょわにょわにょわ にょわにょわわあ〜」

 「何、これ〜?」と思っているうちに冒頭部が過ぎさり、演奏はその後も驚きの連続です。強調したいフレーズの長音はためにため、延ばせるだけ延ばしたかと思えば、勢い付けたい部分はととたんにプレストになり、激しく加速します。オペラアリアのような情感の起伏を狙っているのでしょうが、小刻みかつ極端なテンポの変化で、かえって音楽の流れがぎくしゃくと滞ってしまいます。これなら、一般的な演奏の方が、綺麗なのでは?正直よくある演奏が聴きたくなってしまいました。しかし、最後のクライマックスはティンパニがここぞとばかりに打ち鳴らされ、熱っぽく盛り上がり、興奮の一時でした。

 幕間にお話が入ります。FM大阪で宇野氏の番組を製作しているプロデューサーの方との対談です。今回の演奏会のタイトルを考えたのはこのプロデューサーさんで、「すごすぎる」に決まる前は、「宇野功芳のけったいな世界」というネーミングも候補だったとか・・・ 思わず納得してまっのは、私だけでしょうか。まあ、「すごすぎる」のほうが中立でスマートですが。

 2曲目のモーツァルトの交響曲第40番。第一楽章冒頭の有名なフレーズの三小節目の上昇音に、やはりポルタメントがかかっています。宇野氏の敬愛するワルター風のようです。しかし、その効果として歌いあげるような情感が生まれるいうよりは、うねうね、ねっとりとうねる感じで、モールァルト独特の芳醇な流麗さがか損なわれており、残念でした。大きな「ため」と急なアッチェレの頻出も全曲同様です。第二楽章以下はまだ落ち着きを見せていましたが、くどさには変わりなく、モーツァルトでこの味付けをされると聴く方はきつい、というのが正直な感想です。

 「宇野式」が一番なじんでいたのは、三曲目ベートーヴェン交響曲第五番「運命」でしょう。有名な冒頭の主題は、「最近の指揮者はやたらあっさりしすぎている。そうじゃないはずだ。」という宇野氏の問題提起の部分だけあって、一つ一つの音をまさに「超テヌート」で、じっくり演奏していましたが、これは良かったと思います。そして、大きなポルタメント、フレーズの「ため」、激しいアッチェレ。また、独奏楽器やティンパニに向けてしばしば指揮棒を「ゆけ〜!」とばかりに突き出し、強調を指示していました。ベートーヴェンの楽曲が意志と気迫を有してているため、こうした極度に個性的な味付けも、モーツァルトよりは耐えうるレベルになっていまた。しかし、しかし・・・

 極度のテンポの変化は曲の流れを滞らせ、また、大きすぎるポルタメントは旋律をゆがめてしまいます。結果、作曲家が曲に込めた主題、情感が音楽に上手くのらず、伝わってきません。曲の情感がもたらす感動こそ、宇野氏が最も重きを置いている物ではないかと察するのですが、感動どころか、グロテスクなまでの奇怪な迫力のみが残ってしまいます。

 宇野氏は声楽、それも合唱指揮が得意だそうで、歌で有効な手法を持ち込んだとも考えられます。確かに、テンポの揺れやポルタメントは、歌では感情を盛り上げるのに非常に効果的です。しかし、それも一定の限度内での話。一線を踏み外すと、バランスが崩れ、聞き苦しいだけになってしまいます。人に感動を与えるには、主観を客観的に表現するバランス感覚が必要・・・ということがよく分かった、貴重な演奏会でした。

 最後に、宇野その人は、評論文の激しさとはうって変わって、穏やかな語り口の、好感度の高い紳士でした。70代とはとても思えないほど体のよく動く指揮ぶりも印象的でした。

宇野功芳の“すごすぎる”世界

平成17年(2005年)4月10日(日曜日)
ザ・シンフォニーホール
15:00開演

指揮: 宇野功芳
演奏: 大阪フィルハーモニー管弦楽団