一艘の帆船が、大海原をよぎる。時は19世紀初頭、ヨーロッパではナポレオン率いるフランス軍が大陸を席巻している頃、英国海軍はフランスの勢力拡大を阻止すべく、各地の洋上で作戦を展開していた。英国海軍のフリゲート艦サプライズ号も、フランスの私掠船の活動を阻止する任務を帯びて、南アメリカ沖で敵艦のアケロン号を追跡していた・・・

 映画は、このサプライズ号の艦長ジャック・オーブリーを中心に、彼の親友で船医のスティーブン・マチュリン、仕官候補の少年ウィル・ブレイクニーの三人の登場人物の行動を軸に、サプライズ号がアケロン号を追跡し戦闘を交えるまでの過程を描いていく。その航路で、サプライズ号は数々の危機にみまわれる。アケロン号からの威嚇、攻撃、そして激しい嵐・・・これらのシーンの迫力と緊迫間たるや、素晴らしいものである。

 嵐や戦闘などの手に汗握るシーンもさることながら、映画は、むしろ、艦内の平時の生活と人間模様を丁寧に描き出していく。重厚なストーリーの中で豊かな人物像と心情描写が展開し、それによって作品の厚みが増す。

 

 ストーリー展開の中心となる三人の人物は、極限下にあっても、持ち前の強い精神力で、人間的な心を持ち続けている。カリスマ的な司令官のジャック・オーブリー艦長は、本領のリーダーシップを発揮するばかりではない。親友の船医マチュリンとチェロとバイオリンの二重奏を奏で、それぞれに悩みを持つ仕官候補生一人一人に声をかけ励ます。彼が部下を引きつけるのは、決してそのリーダーシップだけでなく、人柄の魅力なのだ。自らの采配で部下を失い自分を責めさいなむ場面では、指揮官ゆえの深い苦悩が痛いほど伝わってくる。

 その親友で船医のスティーヴン・マチュリンは、博物学を愛する心優しい知性派。この人とジャックの結びつきがまたいい。ジャックの任務優先が行き過ぎ高圧的になった時には諫め、任務ゆえに苦しんでいる時には勇気付ける。ガラパゴス諸島に接近したときに、アケロン号の影が見えながらも、生物学的な興味からどうしても島に上陸したいとオーブリー艦長に迫る場面では、「それは、軍人としてはどう考えても無理でしょう」と思いながらも、思い切り共感してしまった。ある意味で対照的な二人が、どんな出会いをしたのか、どのようないきさつでスティーヴンが乗船することになったのか、興味を抱いてしまう。いつか、原作を読んで確かめてみたい。

 そんなスティーヴンも、戦闘の時には武器を取り、搭乗員の一員として闘う。ジャックはジャックで、休息時にはスティーヴンと二人で楽器を奏でる。一人の人物の中に存在する多層性が、ストーリーの中で味わい深いハーモニーとなる。

 そして士官候補生のウィル・ブレイクニー。わずか12歳でサプライズ号に乗り込んだ、まだあどけなさを残した金髪の少年。彼が現れるだけで、荒くれた船内の風景に、愛らしい輝きが灯るようだ。マチュリンといっしょにガラパゴス諸島で生物を採集する姿は、とても微笑ましい。勉強好きで、博物学にも興味を覗かせる一方で、少年ながらも真の仕官にふさわしい、大人顔負けの意志力と精神力を見せる。左腕を失いながらも勇敢に振舞う姿は気高く、「いじらしい」などという甘い媚びた形容は跳ね返されてしまうだろう。そして、強いだけでなく、限りなく優しい。他の者から疎まれ、弱い立場に置かれた者とも、ブレークニーだけはその心痛を思い遣り、心通わせる。それは、彼が、子供という潜在的な弱者であるため周りが見落としている事象がよく見えるというだけではなく、内面に真の優しさと、物事を見抜く力があるからなのだ。

 戦艦という一種異様な閉ざされた空間の中は、当時の海軍組織、そして英国社会のある部分の縮図といえる。上官の命令は、下士官にとっては絶対である。そして、そこに当時の英国を支配していた階級社会の原理が作用する。戦闘になると、上流階級出身の士官候補生は、ブレークにーのようにまだ12歳の少年であっても部隊の指揮を任される。フィリップ・アリエスの「〈子供〉の誕生」という歴史書がある。現代のように、家庭や社会の中で子供を独自の存在として認識し、保護する子供観は、近代以降生まれたもので、それ以前は単に身体の小さな大人という扱いだったということは知っていたが、それが実際にはこういうことであるとは、驚いてしまった。軍組織と階級社会の厳しさを、二重に見る思いである。いっぱしの大人が、相手がたとえ子供であっても上官であれば、従わねばならぬ厳しさ。そして、子供であっても大人と同じく一人前の指揮官として振舞わねばならぬ厳しさ。

 が、このような力の強弱の原理で成り立つ組織では、弱い者は組織維持のスケープゴートとして犠牲になっていく。士官候補生の一人ホロムは、その物怖じしがちな気弱な性格が災いし、洋上生活での不安のはけ口として、他の船員の苛めの標的になってしまう。そんなホロムの苦しみにただ一人同じ目線で気づき、気遣うブレイクニー少年・・・だが、そんなブレイクニーの思いも空しく、悲劇は起こってしまう。

 細部まで神経の行き届いた場面描写が、その当時の船上での生活をありありと伝えている。上官達の晩餐風景。上官達が食事をしながら気の効いた会話に花を咲かせている最中、上官付きの船員達がテーブルを囲むように控えている。イギリスの貴族の館の食事風景が、そのまま船内に持ち込まれたかのようである。一般の船員や士官候補生が寝泊まりする甲板下の船室は、作り付け寝台や壁に張られた縄に至るまで、細部にわたって作り込まれ、熱気と埃にまみれた匂いまで伝わって来るようだ。そのほか、船上での手術の光景、ガラパゴス諸島の自然や採集風景など、大航海時代はヨーロッパ人にとって冒険と発見に満ちた時代だったのだなあと、つくづく見入ってしまう。

 監督は、「今を生きる」のピーター・ウィアー。この監督の作品は、「今を生きる」を見たことがあるだけだが、好きな作品で、今も心に残っている。こちらは寄宿学校の少年生徒たちの群像と、彼らの間で起こる悲劇を、国語教師との温かい交流を絡めて描いたものだったが、「マスター・アンド・コマンダー」も、閉ざされた環境におかれた人々の群像、信望の厚い指導者の存在、全編を通してにじみ出るような温かいヒューマニズムといった共通点を感じた。

 原作は、パトリック・オブライエン著の海事小説で、全20巻にも及ぶ長大なシリーズ。日本では、このうち映画の基になった巻を含む4冊のみが翻訳されている。英語圏では評判の高いベストセラーで、そのせいか私たちが見に行った時も、欧米人の観客が目立った。Tarlinの隣に座っていた人もそうで、ラスト近くの葬送の場面では、目頭を押さえいた(この場面は、私たちも涙した)。映画のストーリーが、原作シリーズの途中の巻に基づいているせいか、映画の始めと終わりの前後とも話の続きがあるように思えた。出来るなら続編を見てみたい、ぜひ撮影して欲しいと思う。

 渋い、いぶし銀のような味わいの映画。
 

マスター・アンド・コマンダー

2004年3月13日(土曜日)
梅田ブルク7

ジャック・オーブリー艦長
スティーブン・マチュリン医師
ウィル・ブレイクニー
ピーター・ガラミー
バレット・ボンデン

ラッセル・クロウ
ポール・ベタニー
マックス・パーキス
マックス・ベニッツ
ビリー・ボイド

監督: PETER WEIR(ピーター・ウィアー)

キャスト: