My Favorite 佐渡裕

 Tarlin と佐渡裕さんの初めての出会いは1997年1月15日でした。Tarlinの母親が勤める診療所の先生からいただいた1枚のチケットがきっかけでした。 この頃のTarlinは、土・日出勤当たり前の忙しい頃でしたが、久しぶりに舞い込んできたコンサートで、とても楽しみにしてシンフォニーホールへと出かけて行きました。

 「指揮 佐渡裕」 初めて聴く指揮者でしたので、興味が涌き起こるのと同時に。内心、「大丈夫なのかしらん。」という不安も正直言って少しありました。

 定刻になって佐渡さんが現れた時、その精悍な面立ちと堂々とした体躯にまずぴっくりしました。(日本人指揮者って小柄な方が多いですからね。) そして、曲が始まり、その熱い指揮にどんどん引き込まれていきました。そしてメインのドヴォルザークの交響曲第九番「新世界」では、すっかり佐渡ファンになってしまいました。 “熱い指揮” その指揮は、少々荒削りではありましたが、 どう言えば良いのでしょうか。汗が飛び散る、エネルギーに満ちあふれた指揮なのです。 大きな身体でオーケストラのエネルギーを目一杯引き出そうとされているかのようでした。そして、なんと第4楽章では勢い余って(?)指揮棒が折れ散ってしまったのです。 元来、身体も大きく(単なるドラム缶との噂も・・・)、エネルギーが大好きなTarlinは、この一瞬ですっかり魅せられてしまったのでした。

佐渡裕さんとの出会い

 演奏が終わった後、ホールのエントランスで販売していた、佐渡裕さんの自叙伝(?)のような本である「僕はいかにして指揮者になったのか」という本を買いました。

 指揮者としては、決してサラブレッドでない佐渡さんの音楽に対する愛情や情熱もさることながら、関西人特有の人間くささが記されており、帰りの電車の中で一気に読んでしまいました。特に「今夜が僕の引退公演」というところに感動しました。その一節を下に記します。

 それ以来僕は、どんなときでも、これが最後だ、一回きりの演奏会だと思って指揮台に立っている。たとえその日何かがあって、指揮者生命が断たれるようなことになったとしても、決して後悔しないために。というより、その日そこに集まった聴衆とオーケストラとそして僕自身が音楽を楽しむことが、他の何よりも大切なことだと思うからだ。

    
       はまの出版  「僕はいかにして指揮者になったのか」より

第九 そして 折れた指揮棒

 Tarlin は、いつかErill に佐渡裕さんの指揮を見て欲しいと思っていました。そしてそのチャンスが訪れたのが、2002年の年も押し詰まった12月30日の第九の公演でした。

 もう、この頃になると佐渡さんは日本を代表する指揮者としてチケットの入手も簡単ではありません。チケットの発売開始から、まだ日が浅いのに、チケットセンターに申し込んだところベストポジションは残っていませんでした。そこで、座席表と首っ引きでオペレータの方と残された座席を確認し合っていたところ。ブラックホールのように、そこだけポツンと空いた席がありました。それが、A列20番と21番でした。

 A列20・21番。それは、まさしく指揮者の真後ろのかぶりつき席です。Tarlinは考えました。「何故、ここだけが避けられたように残っているのか?」と。“音がとてつもなく悪い席なのか?” “指揮者の表情が一切見えないからか?” “他に不幸な出来

事があるというのか?” などなど・・・ しかし、電話口で待ってくれているオペレータの手前、長考するわけにもいかず、ええい、ままよと、「それ下さい。」と言ってしまいました。

 そして、公演当日、座った席は、分かっていたとは言え、「ほんまに真後ろやね」って感じでした。第1ヴァイオリンから第1チェロの方達の動作を観察するにはもってこいの場所です。なんたってヴァイオリンの弓が切れてもそれが一本一本はっきり見えるのですから。そして、佐渡さんが挨拶するために客席に向かわれるときも大アップです。

 さて、演奏ですが、佐渡さんとオーケストラも毎年演奏しているからでしょうか、素晴らしいコンビネーションで進んでいきました。やはり、佐渡さんは大きな振りでオーケストラを引っ張っていかれていました。そして、この席に座ってよく分かったのが、演奏の最中に佐渡さん自らうたって(ハミング? うなり?)らっしゃるのです。それは、真後ろに座っている我々には、ともするとノイジーなのですが、その情熱だけはありありと伝わってきました。また、第1楽章の終わり頃には、佐渡さんは汗だらけで、激しく振られるときには、座席まで汗が飛び散ってくるのです。 我々は気持ちのいい汗(?)を浴びながら素晴らしい第九に聴き入っていました。

 いよいよ第4楽章、京都バッハアカデミー合唱団の見事な合唱とも相まって最高潮に達したとき、またもや、佐渡さんの振ってらっしゃった指揮棒が折れたのです。佐渡さんは、残った指揮棒もかなぐり捨てて素手で演奏を進められていきます。確かに、第九は人の声の調べを讃えると言っても過言ではない曲ですから、素手で情感豊に指揮されるのもいいものです。

 指揮者・オーケストラ・ソリスト・合唱団が、まさしく心を一つにして進んだ演奏は、終わるやいなや、ホールは満場の拍手の渦に包まれました。合唱団に対する讃美も大きく、佐渡さんから促されて、合唱指揮の方が出場されると、一層大きな拍手が涌き起こり合唱指揮の方の目も潤んでおられました。我々も、感極まって、最前列でスタンディングしてしまいました。後ろを少し振り返ると、多くの方達がスタンディング・オーベイションで讃辞を顕していました。

 延々と続いたオーベイションも漸く終わり、オーケストラの方が退出されようとした時、チェロの方(第2コンサートマスターの方でしょうか?)が、折れた佐渡さんの指揮棒を拾い上げて、 なんと、我々に「記念にいかがですか?」と手渡してくださったのです。 

 こんな素敵な演奏会で、指揮者の方が力のあまり折ってしまった指揮棒。 あと24時間あまりで2002年という年を終えようとしているこの瞬間に、思いもかけず素晴らしいプレゼントを手にすることができた私たちは、万感の思いでホールを後にしました。