2004年2月14日(土曜日)
大阪歴史博物館

印象記

トルコ三大文明展

 行きたい行きたいと思いつつも、何かと忙しく行けなかったトルコ三大文明展。会期も余すところあと3日となった2月14日の土曜日、寒風吹きすさぶ中、堂々の出発をしたのでした。 ・・・ただ一つの懸念を胸に懐いて。

 そう、それは忘れもしない、2003年の1月12日。これまた、会期末を控えた京都国立博物館の大レンブラント展。博物館は入場制限を行っており、博物館前は人垣でごった返していたのです。そして、会場内に入れたのが整理券引き換えを行って2時間後でした。今回も、会期末直前の土曜日とあって少し心配でした。

 大阪歴史博物館につくと、やんぬるかな、「最後尾30分待ち」と書かれたプラカードを持ったお兄さんが入場を制限していました。30分程度で済んだことを幸福として、列の最後

 尾に加わりました。そして、トルコの至宝を目に出来ることを楽しみにして・・・

 展示は、ヒッタイト帝国に始まり、ビザンツ帝国、そしてオスマン帝国のゾーンに導かれるようになっています。ヒッタイト帝国のコーナーでは楔形文字で刻まれた粘土板の文書に、古人の情報や思いを残そうとする渇望のようなものを感じ、ビザンツ帝国のコーナーでは、このころのトルコがいかにギリシャ文化の影響を受けていたかに一種複雑な思いを感じながら、本日もっとも楽しみにしていたオスマン帝国のゾーンに向かいました。

 そうです、元来、光りものには目がない Tarlin は、チケットのデザインにも使用されている「トプカプの短剣」に会えることを心待ちにしていたのです。トプカプの短剣、それは豪華な中にも気品を兼ね備え見る者を魅了して止まない、月並みですが、これ以外に言葉の浮かばない素晴らしいものでした。 Tarlin はいくら見てもその場を去りがたく、展示ケースにへばりついていました。

 しかし、このトプカプの短剣は、ただ単に豪華なだけではなく、それが物語る歴史には、その輝き以上に魅力を感じました。それは、この短剣は、オスマンの王が、敵国であるイランの王へ送られるべく作られた貢ぎ物だったというのです。その意図に、「豪奢をもって威服し得れば戦うより安くつく」という考えがあったのだそうです。民と軍人を苦しめる戦争をするくらいなら、いかに贅沢な貢ぎ物とはいえ安いことだというのですね。 このような合理的な精神の持ち主であったオスマンの王にとても興味を覚えるとともに、何事も一気に最終解決を図るのではない、このような精神が、現在、混迷を極めているパレスチナにしても、オスマン・トルコが支配していた頃には、あまたの民族が、それなりに折り合いを付けて友好的に暮らしていたことに通じるのではないかと思ったりもしました。

 

 清々しい気持ちで、展示場を後にして、ショップコーナーでは、もちろん図録を買いました。 なんせ、トルコ石色のフレームに縁取られた青色の幾何学的模様をバックにトプカプの短剣が燦然と輝いている装丁ですから・・・ あまりに美しすぎます。