3年前、神戸でドレスデン国立美術館展に行ったときのこと(Diary記事こちら)。フェルメールの《窓辺で手紙を読む若い女》が出品されていました。東京から来た友人と待ち合わせ、会場を回り始めてしばらくして友人がぽつり。「関西はいいですねえ。東京だと人が多くて、こんなにゆったり見えませんよ。神戸で見てよかったです。」
 その時は「へえ?」と思っただけでしたが、この友人の言葉の意味するものを、今回の展覧会で思い知りました。なんでしょう、この入館前の延々たる行列は。TarlinがDiaryで書いているので、ここで繰り返すとくどいだけですが、関西でこんな大行列の入場制限に遭遇したのは、秋の奈良名物、2週間短期決戦の『正倉院展』、京都のレンブラント展最終日、大阪は天王寺の《青いターバンの娘》のフェルメール展覧会くらいです。(こう書くと、結構ありますね(^^;;;)
 中もさぞや大混雑、一枚の絵につき何列もの渋滞、と覚悟したのですが、いざ中に入ってみると、ん?そうでもありません。入場制限が功を奏しているのか、絵の前に2列くらい。前列に行儀良く並んでいると、正面をほどよいゆっくり加減で進んでいきます。数年前の万博公園での大英博物館展、天王寺のフェルメールのほうがよほど大混雑でした。今回は全体の作品数が38点と少ないため、場内に人がたまらずに流れていく、ということもあるのでしょう。ちょうどじっくり鑑賞できる早さ(遅さ?)で、快適でした。


《マルタとマリアの家のキリスト》、ギリシャ神話に題材を得た《ディアナとニンフたち》。2点ともまだ初期の作品で、フェルメールの代名詞である後期の静溢な婦人画とは随分と異なる作風ですが、登場人物がまとう衣装の朱、黄、青の明朗な3色が、フェルメール独特の鮮明な光彩を投げかけます。その色彩の極みが、風俗画の《ワイングラスを持つ娘》。男女の飲酒の場面で、人物の表情が一見フェルメールと思えない猥雑さですが、左に窓を配し、画面右側に座る女性を際だたせる構図。女性の存在を更に強調するドレスの生地の光沢、スカートの朱色と袖の黄との明るい対比が、鑑賞者の目を奪い、後のフェルメールの様式を明示しています。
 《小路》は、その名の通り街の一角を描いた小品。以前、アムステルダム国立美術館で見たときは、周りに並ぶ《牛乳を注ぐ女》やレンブラントの《夜警》などの名作大作に押されて、随分ささやかな印象を受けたのですが、この場で見ると、画面の門の奥から表を覆う密かな空気に、こちらも息を潜めてしまいます。解説によると、小さい画面の中に人物の配置や構図など、幾重もの仕掛けがなされ、視線を奥へと誘っているそうです。改めて、安らぎあふれる珠玉の名品でした。
 《リュートを調弦する女》《手紙を書く婦人と召使い》《ヴァージナルの前に座る若い女》は、説明の要らない、清澄なフェルメールの世界です。画面の左上からさし込む光の中で、日常の所作をする女性。特に、《ヴァージナルの前に座る若い女》は、本の表紙ほどの小さな画面いっぱいに、白っぽい壁に白いドレスの女性が楽器に向かって座っている姿だけを描いたシンプルな図で、背景の壁面とドレスの淡い濃淡のある白と、女性の肩掛けの輝くような黄色のコントラストが鮮やかです。ルーヴルの《レースを編む女》を彷彿とする清楚なミニチュア画で、展覧会一番のお気に入りとなりました。
 来年には、その《レースを編む女》が来日するとか。こちらも今から楽しみです。

 いつの頃からか、展覧会ではほぼ必ず音声ガイドを借りるようになった我々。今回も活用したところ、案内用紙に解説の付く絵が一枚一枚カラーで縮小印刷されていてます。これはよい記念になりそうです。
 展覧会は、オランダ絵画、中でもフェルメールが活躍したデルフトの街と、17世紀後半という時代に焦点を当て、同時代同地域のジャンルと様式、その集大成としてのフェルメール作品を、コンパクトかつ丁寧に紹介しています。
 オランダ絵画お馴染みの、遠近法の見本のような柱の並ぶ教会内部図、市民のさりげない日常を描いた風俗画。静かで身近な画題に癒されます。その中でデルフトらしいのは、その街並みを描いた景観画。うち、旧教会と運河を臨む街並みは、この街を訪れると必ず記憶に残る、趣のある風景で、ここを絵にしたヘイデンによる2枚の画は、街の風光を懐かしく伝えていました。
 デルフト絵画の概要が一通り紹介されたあと、いよいよ7枚のフェルメールです。

2008年11月16日(日曜日)
東京都美術館

印象記
フェルメール展
    −光の天才画家とデルフトの巨匠達−