Tarlin の舞鶴での単身赴任生活も終わりを迎えようとしてい2006年10月13日・14日に、舞鶴生活の想い出に、舞鶴から比較的近くにある丹後半島を巡る小旅行をしました。
 舞鶴を足場に13日は自動車で丹後半島を巡り、翌14日は、念願の北近畿タンゴ鉄道で天橋立に行きました。丹後半島の伊根町は、舟屋の里として知られている漁村ですが、とても懐かしい空気感の漂う町でした。天橋立も、今さらという感じがしますが、これまで、笠松公園からしか見てことがなかったのに対して、今回は天橋立ビューランドからの、「飛龍観」という眺めを見ると、やはりいいものだなと思いました。

[由良橋梁から]

[由良海岸通過地点から]

【北近畿タンゴ鉄道の旅】

 経ヶ岬を後にして、夕日の美しさで有名な、その名も「夕日ヶ浦」に向かいました。 燃えるような空が印象的でした。

 経ヶ岬灯台は、明治31年に建設されたそうなのですが、造りは瀟洒で暖かみがあります。今から100年以上も前にこのような素晴らしい建造物があったということに感動しながら海を眺めていると、海上自衛隊の艦船3隻が縦列で快走してきました。折しも、北朝鮮の核実験のあったときで、日本海も緊張しているのでしょうか・・・ いつまでも平和な海であって欲しいものです。

 伊根を出て、丹後半島を北上し経ヶ岬を目指しました。途中、丹後半島一周道路と呼ばれている国道178号線が夏の豪雨の影響により途中で通行止めになっていたため、碇高原を越えるルートで向かいました。経ヶ岬と言えば映画「喜びも悲しみも幾年月」で有名な経ヶ岬灯台です。 灯台は、駐車場から500m近く山道を登った、とても険しいところにあります。しかし、それだけに、その姿は凛としておりとても美しい灯台でした。

 タンゴ鉄道「天橋立」駅を降りると、もうそこは天橋立の付け根です。 Tarlin も Erill もこれまで訪れた天橋立観望は笠松公園側からだけでしたので、初めて「飛龍観」という眺めを楽しむことにしました。 確かに飛龍の姿をしているように思えます。

【天橋立】

 夕日が浦の美しい夕日を見た翌日、最後の丹後を惜しむかのように天橋立へと向かいました。今日は車ではなく、かねてより乗ってみたかった「北近畿タンゴ鉄道」での旅です。「丹後鉄道」ではなく、「タンゴ鉄道」としているところがとてもお洒落で可愛らしく思います。 車体も青色のかわいらしいディーゼルカーです。始発の西舞鶴から兵庫県の豊岡までを結ぶ宮津線は、西舞鶴を出た後、丹後由良から天橋立までとても景色の良いところを通ります。車窓からの風景を少しだけ紹介します。

【伊根の舟屋群】

【経ヶ岬灯台】

 この日は、朝から快晴でした。まずは、「伊根の舟屋群」を見るべく、舞鶴を後にして一路西へ進路をとりました。 とにかく舟屋群というここでしか見ることのできない風景を間近に見てみたいということで、伊根湾遊覧船に乗り込みました。 一応、運行ダイヤはあるようなのですが、観光シーズン中は、臨時便が出るようで、私たちも、船着き場に着いたとたん、船の方から「乗るぅ〜?」との声がかかってきて、「乗ります。乗ります。」みたいな感じで乗船しました。 私たちが乗船した船は、他に、年配のご夫婦が乗船していただけで、ゆったりと遊覧することが出来ましたが、観光バスがやってくると、写真のように満員の場合もあるようです。

 さて、海に出てしばらく船に揺られていると、だんだんと舟屋群が近づいてきました。海の上からみると、まさに海に浮かぶ町のように見えます。遊覧船の案内では、海と山が迫り平地が少なかったため、海に迫り出すような住居形態が採られたようですが、だからといって、どこでもこのようなことができるわけではないようです。単純に考えても、「高潮とかが来たらどうするのだろう。」といらぬ心配をしてしまいそうなのですが、舟屋群が位置するところは、まず、若狭湾に守られ、次いで伊根湾のふところ深くに守られており、干満の差もほとんど無く、海も荒れることが無いそうなのです。

【夕日ヶ浦】

 船と生活が一体となった暮らしが感じられる風景です。それでも、道路が整備されてからは、以前の船着き場がガレージとなっているお家も多くなってきているとのことでした。それでは、舟屋群の風景のいくつかをご覧下さい。 Erill も Tarlin も海辺の育ちではありませんが、なんとなく懐かしさを感じる風景でした。

 「深い湾に守られているので、高潮などの被害に遭わない。」 と聞いてはみたものの、一体どのような地形になっているのだろう見たくなり、伊根湾が一望できる道の駅にもなっている「舟屋の里公園」に行きました。ここからは伊根湾が手に取るように見ることが出来ます。確かに、伊根湾の入り口は外洋に対して、180度反対で、しかも、湾口に小さな小島があり、まるで巾着袋のように口が細くなっていました。 この地形が年中穏やかな海を作りだしているのですね。 

【伊根湾を一望す】

 ちなみに、「舟屋の里公園」を海側からみると、左の写真のように山の中腹にあります。

 伊根の舟屋の町を歩いて思ったことは、「人々が海とともに生きている」ということでした。 家の中から船で海に繰り出し、庭のように広がる海で漁をし、そして、家の前には、穫れた魚の日干しを並べ。 それが、どこの家庭でも極当たり前の光景なのです。 海の恵みを受けて人々が生きていることを実感できる町でした。 

【海と生きる人々】

 お昼ご飯は舟屋群の中の、「かもめ」というお店でとりました。店の方は親切で色々な話を聞かせていただきましたが、この町でも、若者が離れていき、高齢化と過疎化が進んでいるとのことです。 「どこから来たの」と尋ねられて、京都の南部からやってきたことを伝えると、「南部の方は、賑やかでいいね。」とおっしゃられた言葉が印象的でした。