桜の頃になると、毎年のように必ずふらりと訪れてしまう場所があります。東山山麓の、円山公園。ここには、枝垂れ桜の大木があります。京の桜といえば、真っ先にその名が挙がる、東山魅夷画伯も描いた名木です。
初めてこの桜を見たのはおよそ10年前、高台寺や哲学の道など、東山沿いの桜の名所を、友人といっしょに巡っていた時のこと、夜であったと記憶しています。八坂神社の境内を抜けて公園に入り、名高い桜の名所を一目見ようと訪れた人々と、花見の宴席を張る人々でごった返す中を歩いて行くとほどなく、くだんの枝垂れ桜はありました。
大きく垂れた枝に、満開の花を付け、白く、悠然と浮かび上がっています。幾星霜をくぐり抜けた老賢者のように鷹揚な風格をたたえたその姿は、 あたかも年経た自然の生命そのものの、力の限りの生の横溢を見るような、深い感銘を心に与えます。夜桜というと、妖艶で、どこか怪しさすら感じさせる印象がありますが、この枝垂れ桜には、そんな徒(あだ)な印象はみじんもなく、ひたすら穏やかに、泰然と、存在を顕していました。
周囲の喧噪を忘れさせてしまうほどの、銘木の存在感。夜になると焚かれる篝火が、にぎわしい中にも、そこはかとなく幽玄を演出していました。
それから、何年も経ったある年の春、デンマークから帰国したErill は、再び円山公園を訪れました。が、そこには代わり果てた銘木の姿がありました。枝垂れた枝は短く刈り込まれ、幹は、まるで石膏ギプスでもはめたかのように、白く塗り固められています。花の数も、心なしかまばらです。かつての泰然自若とした面影はもはやなく、何ともいえない痛々しい、悲しい気持ちになって、その場を去りました。
円山公園の枝垂れ桜の樹齢は、74年(2004年現在)。老木というほどではありませんが、環境の悪化で年々樹勢が弱ってきたため、1999年から鳥や虫の害から保護するために幹を石灰で白く塗り固めたのだそうです。Erillが見た樹の石膏ギプスは、この石灰でした。現在の桜は、二代目。初代は、昭和22年、樹齢約220年にして枯死。その枯れた桜から種子を取って育てて、昭和24年、公園に移植したのが現在の桜ということです。
翌年、東京から来た友人といっしょに、再び円山公園を訪ねました。枝は伸び、息を吹き返したかのように、いっぱいに花を付けています。植物が本来持っている、強靱な生命力。手入れの入る前にはかないませんが、かつての威風が帰って来たようで、嬉しい面持ちで桜を眺めました。
写真は、更にその翌年、Tarlinといっしょに見た桜です。年々枝ぶりを大きくし、かつての悠然とした風情を着々と取り戻しつつあります。自然本来の持つ力のなせる技でしょう。訪れる毎にその趣を増していく樹精に、勇気づけられる春の一幕です。