ヴィザを求めて
アルバイト(正確には、期間労働者)とはいえ、給与をもらう訳ですから、ノルウェーの労働許可証が必要です。3月もまだ浅い頃、コペンハーゲンのノルウェー大使館まで、パスポートと申請書、スタルハイムからの労働契約書を揃えて申し込みました。当然、現地採用扱いになる為、審査は厳しく、結果が出るまで最低3カ月、長くて4カ月以上かかります。私の場合、大学が休みに入る6月上旬から働くことになっていたので、ぎりぎりの提出期限です。最大の関門になるのは、地元労働組合の許可です。ノルウェー人の失業率がゼロでない状態で、なぜ外国人を雇う必要があるのか、「これならば仕方ない」と思えるだけの、よほど説得力のある理由がなければなりません。申請書類に添えられていた、ホテルからの書類を見る限り、その辺りの事情は結構さらりと書き流されているようです。果たしてどうなるか、一抹の不安を懐きつつも、ホテルと連絡を取りながら、結果を待ちました。
そして、2カ月半後、ノルウェー大使館から電話が入りました。「あなたの労働許可申請は、却下されました。」ありうる事とは思っていたものの、やっぱりショックでした。留学生の夏休みのアルバイトですから、それなら他のチャンスを探せばいいのですが、せっかくの機会です。滞在先のデンマークが北欧というより、北欧と西欧の中間という雰囲気の所なので、北欧らしい北欧に身を置いてみたいと思っていたErillには、願ったりかなったりのチャンスでした。諦めきれずに、事情を尋ねるため、ノルウェー大使館まで自転車を飛ばしました(コペンハーゲンの街はそう大きくなく、道も平坦なので、自転車が人々の足となっています。貧乏学生のErillが、大使館の並ぶ一等地に住んでいた訳では決してありません)。窓口の女性は、「労働組合が、許可しなかったのです。結果が不服なら、異議申し立て出来ますよ。」と言って、異議申し立ての申請書をくれました。
私は、すぐホテルに電話をして、事態を話しました。支配人のイングリッドさんが、直々に対応してくれました。敏腕キャリアウーマンという感じの、とても力のある、ハキハキした話し方をする女性です。「OK。こちらで異議申し立て用の文書を作って送りますから、それを持って大使館に異議申し立てして下さい。こちらからも移民局に連絡をつけて、説明します。大丈夫よ!」
イングリッドさんの、低い、しっかりした声は、とても頼もしく、心強く響きました。どうやら、こういう場合のノウハウは、よく心得ておられるようです。一週間もしないうちに、ホテルから文書が届きました。中には、ノルウェー語でびっしり数枚にわたって、日本人を雇い入れる事情が説明されていました。一夏の間に何人の日本人が訪れ、どれくらいの収益がホテルに入ってくるか、詳細なデータと共に提示されているようでした。
これがあれば、今度こそ大丈夫かもしれない、と希望を胸にいだきながら大使館まで自転車を走らせ、異議申し立ての申請をしました。二週間後、本来の労働契約での就業開始日は何日か過ぎたものの、無事にビザは下りました。大使館から電話があり、パスポートを持って来て下さいというので、受領かと思って行くと、通知文書を渡され、「ノルウェーに着いたら、1週間以内にパスポートを持って、その地域の警察に出頭してください。そこでスタンプをもらってください。」警察?スタンプ?デンマークのヴィザ同様、パスポートの空いたページにヴィザ用紙を貼り付けるとものと、てっきり思いこんでいたので、不思議に思いながら大使館を後にしました。
それからすぐ飛行機の切符を取り、何日か後の6月10日夕方、コペンハーゲンからベルゲンへと飛びました。ノルウェー上空に入ってしばらく、下は雲で覆われていますが、雲の切れ間から折り重なる山並みと、時折雪らしき白い色が覗いています。ベルゲンに近づくにつれ緑が多くなり、飛行機が下降をすると、森林と入り組んだ湾の青い影が、だんだんはっきりと近づいてきます。デンマークとはまったく違う、自然豊かな風景です。空港からバスで駅まで行き、そこから鉄道でおおよそ一時間、ヴォスという小さな街まで向かいます。車窓の外を眺めていると、一面の緑の木々をぬって、フィヨルドの穏やかな水面や澄んだせせらぎが通り過ぎていきます。東洋的な趣すらある山水のスケールと透明度にすっかり魅せられているうちに、列車はヴォスへ到着しました。駅のホームには、ホテルの人が車で迎えに来てくれていました。
ホテルに着いて、支配人のイングリッドさんに挨拶しました。イングリッドさんは、褐色の短いおかっぱ頭に眼鏡をかけた、ノルウェー人らしい大柄な方で、電話でのイメージの通りしっかりした、しかし笑顔がとても気さくな、気配りの行き届いた方でした。
それから数日後、大使館で言われたスタンプをもらいに、ヴォスの警察に行きました。私の他、イギリスとオーストラリアから来た他の二人のスタッフもいっしょでした。ヴォスは、湖に面した、美しい小さな田舎町です。湖の向こう岸には、雪をかぶった山々が並んでいます。
警察に入ると、2階の部屋に通され、パスポートを出すように言われました。パスポートを渡すと、空のページにポンと大きなスタンプを押して、なにやら書き込んでいます。返してくれたパスポートを見ると、そこには、青インクで押されたヴィザの書式に、黒のボールペンで滞在期限や雇用先事業主、 担当係官の署名が書き込まれていました。スタンプは、つまり、ヴィザそのものだったのでした。(ヴィザがスタンプ形式になっている国は、他にもあることを知ったのは、、恥ずかしながらそのずっと後でした。)こうして、晴れてノルウェーで正式に夏季労働者として働ける身となったのでした。
ソグネフィヨルドの一部ナーロイフィヨルドの船着き場グドヴァンゲンからのびる道を、船からバスに乗り換え、碧く澄んだ清流に沿って進むと、急勾配の斜面をつづら折りに上る険しい坂道さしかかります。スタルハイムスクレイヴァ(スタルハイムの急坂)と呼ばれる、最高斜度18度の、ノルウェーで最も急な坂道です。左手にスタルハイム滝、右手にシヴレ滝が流れ落ち、水量の多いシヴレ滝にはよく虹がかかっています。カーブを一つ曲がる度に滝の流れとその急な角度に驚嘆しながら、坂を上まで登り詰めると、左手に赤い木造のホテルが、崖の肩にのっかるように建っています。スタルハイム・ホテルです。
スタルハイムは、中世から開けたオスロとベルゲンを結ぶ「国王の道」と呼ばれる古い街道上に位置しています。1750年代に、街道を行き交う人々のために、土地の農家が旅籠を開いたのが始まりで、1885年に最初のホテルが出来ました。その後ホテルは、三度の火災で消失、現在の建物は1960年建造の4代目だそうです。
崖に張り出したホテルのテラスから谷を覗くと、氷河に削られた峰峰がそそり立ち、眼下に小川が碧くうねる、まさに息を呑むような景色が広がっています(上の写真は、ホテル左横の草地からナーロイ峡谷を眺めたものです)。
ソグネフィヨルドを訪れる旅人のために、ホテルはロビーとテラスを開放していてます。バスを降りた観光客は、ホテルのロビーを突き抜け、絶景を求めてテラスに出ます。バスが来ると、ホテルのロビーには、いろんな国の言葉が飛び交います。北欧諸語、英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、日本語、中国語、韓国語・・・売店に寄って、お土産や絵はがきを買っていく人も結構います。
宿泊客はもとより、売店を訪れる多国籍の客に対応するため、ホテルは多くの外国人スタッフを置いています。Erillが居た年には、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、ドイツ、オランダなどから来た人々が居ました。そしてErillは土産物屋配属でしたが、他にレストランでも日本人が2人働いていました。
住み込み店員さんの暮らし
ホテルのスタッフは、客室とは別棟にある、スタッフ用の部屋で寝泊まりします。もちろん一人部屋で、快適です。Erillの部屋の窓からは、山の上の牧場に赤い民家が数件立っている、のどかな風景が見えました。電話・トイレ・シャワーは共同で、バスタブはありません(デンマークの学生寮やアパートもそうでした)。テレビも、共同の部屋にありました。Erillは、あまりテレビは見ないで、ほとんど部屋で本を読んでいるか、日のあるうちは(というか、夜中でも白夜で白々と明るいのですが)、ふらふらと辺りを散歩していました。
食事は、朝はホテルのレストランで、お客さんとまったく同じビュッフェ形式の食事が取れます。これは豪華でした。私のお気に入りは、焼きたてのワッフルでした。グブランスダールチーズという、牛と山羊の乳を半々に混ぜて作ったノルウェー特産の、コクと甘みのあるブラウンチーズを載せ、イチゴジャムを塗って食べるのがノルウェー流です。私は大好きでしたが、日本人の知人の半分くらいは、このチーズを受け付けないようでした。
昼と晩の二食は、職員用食堂でとります。昼は朝食の残りのような軽食、夜は肉料理か魚料理のかなりしっかりした、重めの食事でした。近所に住む、眼鏡をかけたとても優しいおばさんが、給仕をしてくれていました。ケーキやムースなどのお客さん用のデザートの余りも、ほぼ毎日のように出ました。甘い物好きの私には、何よりのお楽しみでした。
Erillの配属は、ホテルの売店。ホテルの正面玄関を入ると、右手にフロントがあり、その横が売店です。峡谷の景観を求めてテラスに出る人々は、売店の前を通って、ロビーを横切り、そこからテラスに出ることになります。売店は、実質土産物屋で、一階部分に絵葉書、ノルウェーの本、フィヨルドの風景を描いたナイーヴ・アートの額、人形や白木細工などの民芸品、二階部分にノルウェーの伝統工芸の銀細工やノルウェー・セーター、そして、ヨーロッパらしく、色とりどりのクリスマス・ツリー飾りが、センスよく可愛らしくディスプレイされています。見ているだけで楽しくなる、これらの品々の買付けは、すべて支配人のイングリッドさんです。
ホテルでは、勤務中は制服を来ます。制服は、部署と性別によって違い、男性は黒いズボンに白いワイシャツ、黒い蝶ネクタイにグレーのストライプのチョッキ、女性は、フロントは男性と同じストライプのチョッキに黒のロングスカート、レストランおよび私の配属された売店は、ノルウェーの民族衣装ブーナードを簡略化した、エプロン付きのジャンパースカートです。スカート部は黒ですが、チョッキ部分の色は、黄色や赤、青など何色かあり、自分で好きな色を選べます。私は赤紫にしました。なかなか可愛らしく、勤務が終わったら返却と最初に言われていたので最初から諦めていましたが、もし出来たら記念に買い取りたいと思ったくらいでした。胸元には、伝統工芸の銀のブローチを飾ります。これも、売店の売り物から好きなのを選べます(もちろん、勤務終了後は返却です)。
勤務時間は、それぞれの持ち場の稼働時間に合わせて交替勤務が組まれていてます。フロントは、朝6時から夜11時、レストランは朝食時と昼食時と夕食時の、3つの時間帯の組み合わせです。私が配属された土産物屋は、朝8時から夜10時までの間で、三通りの交替時間が組まれていました。一つめは朝8時から午後3時半まで、二つめは10時から夕方5時半まで、三つ目は、昼の2時半から夜の10時までです。
このうち、一番忙しいのが、朝10時から夕方5時までの時間帯です。ソグネ・フィヨルドを通過するバスが一時間に数本止まり、そのたびに店内にはたくさんのお客さんが入って来ます。特に、大きなツアーがバスを2〜3台連ねて来たときは、大変です。店の中は人であふれかえり、レジには行列が出来ます。バスが止まっているのは、15分か、長くて20分程度です。それまでに、すべてのお客さんの清算を済ませねばなりません。特に、昼食やシフトの重なりの関係で、スタッフの少ない時に大きな団体が来ると、まるで時間との戦争です。
8月の終わり、夏季スタッフもだんだんとホテルを去り、店のスタッフの人数も減ってきた頃、もたまたま午後の時間帯に店に二人しかいない時がありました。そこへ、アメリカ人の団体客が40人くらい入って来ました。絵葉書やクリもスマスツリー飾りを買った人で、レジの前は長蛇の行列です。とても二人ではさばききれず、お客さんも心配そうにしています。見かねたフロントの人が、急遽応援に入ってくれ、何とかお客さんはバスに間に合いました。
お休みは、週2日です。先に希望を伝えておけば、予定表に組み入れてもらうことも出来ます。たとえば、週二日の休みを、一日にしてもらって、別の週で三日休んで、どこかに小旅行に行く、という風に。勤務時間についても、スタッフさん同士で都合を確認して、入る時間帯を変更してもらうことも出来ました。もちろん、やり過ぎはいけませんが。働いている人を大事にする、優しい職場でした。
諸国客人
スタルハイムの土産物屋には、世界中から来たお客さんが立ち寄ります。中でも多いのは、ドイツ人、アメリカ人、フランス人、日本人です。その他、イタリア人、スペイン人、ロシア人、イスラエル人、台湾人、香港人、中国人、シンガポール人、韓国人なども来ました。見ていると、国によって、随分と買い物の仕方や、お金の払い方が違います。
買う物の傾向
絵葉書は、全般的によく売れていました。ドイツ人やフランス人は、本もよく買っていました。クリスマスツリーの飾りも、ヨーロッパ人やアメリカ人の間で、根強い人気でした。クリスマスツリーの飾りだけで、買い物籠をいっぱいにしている人が、何人もいました。ノルウェーのクリスマスツリーは、藁で作った昔ながらの物から、名産の真鍮細工まで、素敵なものが多く、日本人もマスコット代わりに買っている人がたくさんいました。
そして、スカーフや磁石、革しおりといった、こまごました買いやすい値段の物を、何十個という単位でまとめ買いするのは、決まって日本人でした。この光景は、(想像に固くありませんが)他の文化圏の人にはかなり不思議なようで、そうしたお客さんがあると、よく他のスタッフから、「どうして日本人は、あんなにたくさんのお土産をまとめて買っていくの」と質問を受けました。そのたびに、「家族や友達、同じ職場の人や近所の人に、日ごろお世話になっている印に、お土産を配るのことは、日本の習慣で・・・」と、同じ説明を繰り返しました。そして、8月末、Erillがスタルハイムを去る前に、こまごましたお土産を買い込んだのは言うまでもありません。
買い物の言葉
たいていのお客さんは、北欧の人以外は、英語で話してきますが(Erillに日本語で話しかけてくる日本人は別として)、フランス人とドイツ人は、北欧の山国で、私のような東洋人に向かっても、堂々とご自分達の言葉で話してきます。(そういう意味では、アメリカ人やイギリス人も、異国で堂々と自分達の言葉で通しています。)
ドイツ語は、店のスタッフの中でもドイツ人の女子学生マティーナと、オランダ人の男子学生のスティーヴンが話せましたし、Erillも多少心得があったので、困ることはありませんでした。が、フランス語はオランダ人のスティーヴン以外は、話せる人がいなかったので、彼がいない時にフランス人の団体が来た時は、往生しました。そのうちに、商品を渡すときに使う「どうぞ」にあたる「ヴォワラ」などの簡単な言い回しや、5や100などのよく使う数字は、自然に覚えました。一番先に頭に入ったのは、フランス人が本をよく買うので、本の代金の98(クヮトロヴァン・ディスィット)という大変中途半端な数字でした。
ある時、例によってフランス語のできるスティーヴンのいない時に、フランス人の団体さんがホテルに入ってきました。かわいらしい感じの老婦人が一人、私のところにやって来ました。にこにこしながら、「ヴェトナミース(ヴェトナム人)?」と聞いてきます。フランスはベトナムの宗主国だったので、アジア人を見たら、まずヴェトナム人かと尋ねてくるのでしょうか。
「ノン、ジャポネーズ(いえ、日本人です)。」
「パルレ・フランセー(フランス語は話す)?」
「ノン、ジュネパレパフランセ(いえ、フランス語は話せません)」(フランス語を分かる方はお気づきかと思いますが、Erillのフランス語はめちゃめちゃです。)
しかし、ここで、下手にフランス語で答えたのがまずかったのです。老婦人は、とても喜んだ様子で、「ねえ、来て来て。フランス語を話せる娘がいるの!」(と多分、言っているのでしょう)と言って、お友達をもう二人連れてきたのです。結果、私の前には、うれしそうなフランス人の老婦人が三人並んでいます・・・結局、私はもう一度、申し訳ないと思いながら、フランス語は話せないと繰り返し、おばあさん達は、事態を悟り、レジで買うものを買い、帰って行ったのでした。
フランス人が来るたびに、どうしようかと思ったものですが、個人的には、フランス人のお客さんは大好きでした。マナーがきちんとした上で、愛嬌があります。また、ヨーロッパ系言語は喉の奥から深々と響く発声が多い中、フランス語は軽やかに明るく響くので、それもフランス人のお客さんに、可愛らしい印象を加味していたのかもしれません。
お金の払い方
レジで支払いをする時の様子も、国によって違っていました。一番マナーがよく、レジが楽だったのはドイツ人です。ほとんどすべての人が、ノルウェー・クローネを用意していて、クローネで支払ってくれました。フランス人、アメリカ人、イタリア人、日本人は、自国通貨で払おうとする人が時々ありました。アジアの人々も、自国通貨ではありませんが、ドルで払おうとした人が多かったように思います。そして、その中でも数種の通貨をまぜて払おうとするのは、たいてい日本人でした。
日本人が北欧に来る場合、たいていの場合、複数の国を横断する形になるので仕方がないのかもしれませんが、フィンランド・マルクとスウェーデン・クローネとノルウェー・クローネをごちゃまぜに出され、足りない分を日本円で・・・となると、計算するほうは大変です。自分もやりかねないと思ったものの、いざ計算する立場になってみると、これは大変な負担であることがよく分かります。後ろに他のお客さんが並んでいる時など、とても焦ってしまいます。みなさん、海外で買い物をする時は、現地通貨で払うよう心がけましょう。どうしても現地通貨が足りない場合は、他に使う通貨は一つにとどめましょう。
どこのお客さんも、レジに順序良く並んで、値札の額を払ってくれるのですが、一度だけそうでないお客さん達がやってきました。レジの周りに、買おうとするものを持って集まって来たと思うと、並ばずにレジ台に詰め掛け、口々に「私も私も」という感じで、方々から品物を持った腕を差し出してきます。こちらも困って、「順番に並んでください!」と言うのですが、英語は通じている様子ですが、いかんせん、並ぼうとしてくれません。黒髪と小麦色の肌や顔つきからすると、どうやら中近東系の人たちです。仕方なく近くの人からレジを打って、値段を告げると、今度は「まけて、まけて。」と交渉してきます。
この時は、幸いイギリス人のベテラン店員ジョアンナさんといっしょでした。2階レジにいたニュージーランド人のもう一人のベテラン店員マールさんも救援に駆けつけました。二人は、必死で「ノルウェーでは、店で表示している値段で買い物をしなければならず、値引き交渉は出来ません」と説明しました。お客さんは、それでも「値引き、値引き」と言ってきましたが、こちらも半ば強引に、定額でレジを打ちました。トルコやアラブの店や市場では値段が決まってないところがほとんどで、その場の交渉で値段を決めるそうですが、お店の売買システムが全く違うノルウェーで、自国の習慣のまま振る舞ったのでしょう。まるで、市場の雑踏の只中にいるような騒ぎでした。ジョアンナさんは、「イスラエル人だと思うわ」と言っていました。
ここで紹介したスタルハイムホテルのホームページはこちら: http://www.stalheim.com/
傘咲きおじさん
たまには、かなり面白いお客さんも現れました。
お店の二階部分に、人の背ほどある大きな白クマのぬいぐるみが置いてあります。私が下のレジにいると、上からにぎやかな声がするので、二階を見ると、短パンにポロシャツのアメリカ人の大きなおじさんが、白クマの上にどっかと腰を下ろしています。そして、連れの人たちがカメラを構え、「イエーイ!」とはしゃいでいるおじさんの姿を写真に撮っています。いくら旅先で開放的になっているとはいえ、まさか、売り物に座るとは・・・他のスタッフも多かれ少なかれ困惑していましたが、あまりにおかしい光景だったので、こちらもくすくす笑っているうちに、アメリカ人達は白クマの前からいなくなりました。
また、店の前には、高さ1mくらいの、民族衣装姿のこけしのような木の人形が立っているのですが、ある時、やはりアメリカ人のツアーが通っていった時、子供が一人、人形に抱きついて「ヘイ、僕これ買うよ!」と一言言い放ち、去っていきました。そのとき、店にいたジョアンナさんとマティーナは、「こういうことを言うのは、たいていアメリカ人なのよね。」と、つぶやいていました。
しかし、一番面白かったのは、傘おじさんでしょう。ある日の午後、天候の変わりやすいヨーロッパにはよくあるのですが、突然、通り雨が降ってきました。ちょうどツアー客が何組か立ち寄っていました。みんなが、「あれ、あれ」と言うので、お客さんが歩いている通路の方を見ると、何と、背の高い白人のおじさんが、頭に小さな傘をのっけて歩いているではありませんか。頭にかぶったキャップから柄が突き出、その上に直系40cmくらいの赤・黄・緑の花を咲かせて、得意満面の嬉しそうな顔をしています。皆で目を点にして見つめていると、当時ベルゲン大学地理学科の学生だったマティーナが言いました。「あの傘、きっとベルゲンで買ったのよ。何箇所か、ああいう傘を売っている所があるもの。」こちらのおじさんは、みなが言うには、イタリア人かスペイン人のようでした。