旅で出会った数々の想い出。 それらの一端を思いつくままに書いてみました。

 フランス領タヒチの公用語は、フランス語とタヒチ語です。ホテル、お店、レストラン、郵便局、空港、どこに行っても間違いなく通用するのはフランス語です。ポリネシア系の言語タヒチ語も、地元の人や、ホテルのスタッフの間で話しているのを、よく耳にしました。リゾート地や観光地では、客のほとんどがアメリカ、フランス、日本など多国籍のため、英語もある程度通じます。ホテルによっては日本人スタッフの方が常駐していて、タヒチ本島での私たちの滞在先メリディアンには日本人スタッフがいました。ボラボラ島で泊まったソフィテル・モツには日本人スタッフがおらず、フランス語もタヒチ語も当然のごとくできない私たちは、タヒチアンのスタッフさんと英語で会話をしていました。  タヒチの人々にとって、日本人同様、英語は外国語です。彼らの英語は決して流暢ではありません。極力簡単で、分かりやすい表現を使ってくれるので、助かります。逆に、こちらの話す英語がちょっと複雑になると、分かってもらえなくなってしまうことも時としてありました。

 楽しいのは、英語やフランス語のなかに時折入り込むタヒチ語の言葉です。特に、簡単な挨拶は、ほとんどと言っていいほどタヒチ語でした。ホテルの桟橋や敷地内で、スタッフとすれ違うと、必ず微笑を浮かべて、「イアオラナ」と挨拶してくれます。イアオラナは、「おはよう」から「こんにちは」「こんばんは」まで、時間を問わず使える挨拶の言葉です。「ありがとう」という意味の「マウルール」も、よく使いました。どちらも鷹揚な響きを持ち、口に出して言ってみると、和やかな空気が生まれるような感じです。

 「さようなら」は送る側と、去る側で言葉が違うます。送る側は「パラヒ」、去る側は「ハエレ」です。ボラボラ島滞在を終えて、ソフィテル・モツを去るとき、桟橋で見送ってくれるスタッフさんに、いつまでも名残惜しく手を降り続けると、「パラヒ〜!」と返してくれました。

 ポリネシア人の島をフランス人が植民地化していく歴史の中で混血が進み、現在のタヒチアンは、ポリネシア系の人でも大抵どこかの段階でヨーロッパ人の血が入っているそうです。そう言われると、確かに、顔立ちに混血の人独特の端整さのある人が多いように見えましたし、若い人は、手足が長くスタイルのいい人が沢山いました。そんな彼らのフランス語への感情は、どのようなものでしょうか。旅行者である私たちには、全体的な状況は伺うべくもありませんが、ポリネシア系の人々の中には複雑な感情もあることを、たまたまかいま見る機会がありました。

 土曜日の午後、タヒチ島でパペーテ市内からホテルまでの帰り、公共交通機関のル・トラックがいつ来るか分からないので、タクシーを拾いました。運転手さんは、働く肝っ玉お母さんという雰囲気のタヒチアン女性で、道すがら英語で話をしてくれました。「日本人観光客を時々乗せるので、日本語を勉強したいけど、難しいですね。日本語の響きは、タヒチ語と似ていて好きです。」そして、日本語で「ありがとう」や「さようなら」はなんと言うか、といった話をひとしきりした後、運転手さんは、はっきりした口調で言いました。「学校ではずっとフランス語を習うけど、フランス語、No。英語、No。タヒチ語、OK。日本語、OK。」 お母さん運転手は、自分たちの文化を表現する言葉は、タヒチ語であるという認識をしっかりと持っていました。そして、それを圧迫しているのは、フランス語や英語の西洋語であることを意識していました。

 現在のタヒチ語の日常会話には、フランス語がかなり混じっているそうです(ワールドカルチャーガイド「タヒチ」)。フランスからは独立せず、フランス領内に留まりながら、自治権を拡大していく方針を決めたタヒチ。タヒチ語の姿は、タヒチの政治、社会、文化の行方を反映して、今後も変わっていくのでしょう。

 

 ボラボラ島の滞在先ソフィテル・モツでの私たちの水上コテージは、117号室。英語で正しく読むと、「ワン・ハンドレッド・セヴンティーン」となるはずですが、英語は片言のスタッフの皆さんは、数字を丸読みして「ワンワンセブン」と呼び習わしていました。

 ソフィテル・モツは部屋数が23室しかないので、スタッフさんもすぐ滞在客の顔を覚えてくれます。そして、顔を覚えてもらったお客さんは、部屋番号で呼ばれるようになります。おかげで、ホテルに到着して部屋に案内され、「あなた方のお部屋は117号室(ワンワンセブン)です」と鍵を渡されて以来、私たちは何をするにもずっと「ワンワンセブン」で通っていました。

 レストランで食事を頼む時も、アクティビティや本島へのシャトルボートの予約をする時も、カヤックやシュノーケル用のフィンを借りる時も、私たちがフロントに顔を見せると、恰幅のよいタヒチアン女性のスタッフが現れて、深みのある声で「ワンワンセブン?」と、用件を尋ねてくれます。おかげで、私たちも自分から、スタッフに「ワンワンセブン」と名乗るようになりました。

 この流儀で行くと、123号室の人は、「ワンツースリー」、111号室の人は、「ワンワンワン」になるのだろうかと、妙に気になってしまうのですが・・・  楽園のようなリゾートで、ちょっと犬になったような気分を味わえる、楽しくアットホームで、かつ便利な呼び方でした。

 

 タヒチ語に「アイタ・ペアペア(気にしない)」という言い回しがあります。あ行の音が調子よく繰り返され、まるで南国の明るさをそのまま音にしたような朗らかな響きです。どんなことがあっても「アイタ・ペアペア」で受け流していく、タヒチアンのおおらかな心情を表しています。沖縄の「てーげー(大概)」(「適当、いい加減、ほどほど」の意)にも通じる、南国的メンタリティです。日本でも製薬会社のCMで、モーレア島の風景とタヒチアンの家族の映像と共に、お茶の間に流れています。

 アイタ・ペア・ペアの精神は、ホテルのスタッフにも脈々と流れていました。ボラボラ島のホテル、ソフィテル・モツのスタッフ達のサービスぶりは、おおらか、つまり適当そのものでした。

パレオ編

 日本の旅行代理店の案内によると、ハネムーンの滞在客には、ホテルから女性にはパレオとTシャツのプレゼントがあることになっています。Erillは、このパレオをもらうのを大変楽しみにしていました。そして、ぜひ海に囲まれたポリネシア風コテージで、パレオを着て過ごしてみたいと思っていました。

 着いてすぐコテージに案内された時、部屋の中には、歓迎の花飾りとフルーツ・バスケットが華やかに置かれています。これを見て、もしかしたら、パレオとTシャツも、と思い部屋を見回しましたが、どうやら見当たりません。私達は、まあそのうち滞在中にもらえるのだろうと思い、その時点では特に気にしませんでした。

 次の日の朝、朝食後、そろそろこのホテルのスタッフの呑気で大らかなサービスぶりに気が付いてきた私達は、これは、もしかしてこれはこちらから言わないと、新婚旅行客にプレゼントがあるなどと全く気付かれないままで終わってしまうかもしれないと思い、フロントに寄って尋ねてみることにしました。「あのう、日本の代理店から、ハネムーンの滞在客には、パレオとTシャツがもらえると言われたんですが。」「ちょっと待ってください。私では分からないので、支配人が来てから確認しておきます。」支配人は、別のタヒチアン女性です。確かに、彼女の姿はまだありません。この日、私達はシャーク・フィーディング(鮫の餌付け)に行く予定で、すぐ出なければならなかったので、その言葉を信じて任せておくことにしました。ヘリコプタ遊覧から帰って、もしかしたらパレオを置いてくれている・・・?と期待してコテージに戻ったら、案の定(?)この日もパレオはありませんでした。

  次の日、モツに来て三日目、朝食の後、私たちは再びフロントでプレゼントのことを確認しました。今朝は支配人さんが来ています。「あなた方のホテル・バウチャーを確認させて下さい。」と言って、チェックイン時に渡した私達のバウチャーを取り出し、それを見ながら私達の現地旅行社にフランス語で電話をかけ始めました。電話が終わると、「OK。チェック・アウトまでにTシャツとパレオを用意します。」ほっ、よかった。しかし、こんな風に言わなければ、きっともらえなかったのでしょう。その日は、一日モツの周りでのんびりシュノーケリングやカヤックを楽しんで、夕方フロントに鍵を取りに寄ると、「ワンワンセブン(117号室)?こちら、プレゼントです。」見ると、差し出されたその手には、パレオとTシャツが・・・大喜びでお礼を言って、早速、コテージに戻って広げてみました。パレオは、オレンジがかった茶色とパープルの二色使いで、大きなぼかしの花柄がシックかつ華やかなもの、Tシャツは、ソフィテル・モツのロゴにかもめがあしらわれた、とてもセンスのいいものでした。

 その日の夜、早速Erillはもらったばかりのパレオを着て、レストランに出かけました。ちょうど、ボラボラ島で過ごす最後の夜でした。パレオ姿で嬉しそうにしているErillに目を留めたスタッフさんは、気のせいか、いつにもましてにっこり笑顔を向けてくれているようでした。それもそのはず、あれだけしつこくパレオ、パレオとフロントに日参しては騒いでいたのですから。こうしてもらったパレオとTシャツは、苦労した分(?)、旅の何よりのよい記念です。  ・・・ちなみに、パペーテのホテル、ル・メリディアンでは、チェック・インを済ませて部屋に入った時、新婚旅行者プレゼントのパレオと帽子が、しっかり置いてありました。

シャンパン編

 私達の利用したツアーでは、ハネムーン・プランを選択すると、ハネムーン・ディナーなるものが付いてきます。泊まったホテルのレストランで、フルコースのディナーに、これまた、日本の旅行代理店の案内では、シャンパンもしくはワインが無料で一本つくことになっています。到着した初日の夜は、早速このハネムーンディナーでした。

 夜7時、ガイドブック等で、タヒチのマナーではレストランで食事をするときは正装と読んで、このために持ってきた一張羅の服を着て、いそいそとレストランに出かけました。テーブルに案内され、周りのテーブルを見回すと何組かいる欧米人グループの服装はみなカジュアルで、中には、半袖の綿シャツに短パン、足元はサンダルのおじさんも・・・どうやら、タヒチのドレスコードは、結構くだけているようです。私達のこの盛装ぶりは何?まあ、新婚旅行記念ディナーだし、いいかと気を取り直し座っていたら、ほどなくしてウェイトレスさんがメニューを持ってきてくれました。「お二人で、スープを二品、前菜を二品、メインディッシュを二品、デザートを二品選んでください。」「OK。それと、ワインかシャンパンを選べると思うのですが?」「飲み物は、別料金になります。」「え?旅行代理店の日程表には、ハネムーン客は、ワインかシャンパンが一本つく、と書いてあるのですが。」「そんなことは、ありません。」「???でも、プレゼントで付くと言われていたのですが・・・」

 とにかく、今日は記念すべき新婚旅行の初日、どちらにしても華やぎのグラスが欲しかったので、気が大きくなっていたTarlinは、「大丈夫、ただだってば」と、シャンパンを注文しました。そうして、シャンパンを傾けながら、ほろ酔い加減で、ゆったりと好い雰囲気で次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打ちました。料理が終わると、ウェイトレスさんが、「コーヒーかお茶はいかがですか?」と聞きに来ます。コーヒー党のTarlinは、コーヒーを頼み、紅茶党のErillは紅茶を頼みました。ところが、コーヒーはすぐ運ばれてきたのですが、紅茶はいつまで立っても来ません。他の客も次々と去り、時計を見ると、レストランがバーに切り替わる10時前になっています。これはさすがにおかしいと、ウェイトレスさんを呼んで「紅茶はまだですか?」と尋ねました。すると、「待ってください。聞いてきます。」とカウンターの奥に去り、また戻ってきたウェイトレスさんの言うことには、「ごめんなさい。夜は紅茶はありません。紅茶は、朝だけです。」なんと、ウェイトレスさんは、本来メニューにないものを注文に聞いていたのでした。その夜は、もうレストランが閉まる時間ですし、Tarlinだけコーヒーを飲んで、シャンパンの料金に一抹の不安を覚えながらも、満足して部屋に戻りました。

 そして、翌日、朝食で給仕をしてくれたのは、同じウェイトレスさんでした。朝食の内容を説明してくれるときに、「ちゃんと紅茶はあります。」としっかりアピールしてくれます。Erillが紅茶を頼むと、お湯の入ったティーカップと、紅茶数種とフルーツ・ティー数種のティーバッグを運んで来て、「ほら、ちゃんと紅茶もあるでしょ?」ここまでも余裕かつ愛嬌たっぷりだと、「これが南の島の呑気さなのね。」と不思議と納得し、許せてしまいます。何というか、こちらも感化されて、のんびり和やかな気分になれるのです。私達は、このいい加減感覚も、かえって南の島らしく好ましく思え、気に入って(?)しまったのでした。

 しかし、こうのんびりした人たちに対しては、本来なされるべきことが忘れ去られていると思われる場合は、こちらからしつこく、時にうるさいくらい確認せねばならなかったのです。

 ボラボラ最後の日、チェックアウトの時、フロントで渡された請求書。そこには、ハネムーン・ディナーのシャンパンが、しっかり請求されていました。それも、9100パシフィック・フラン、日本円にしておおよそ1万円ほどの額です。びっくりした私達は、スタッフさんに必死で訴えました。「日本の代理店の旅程表では、このシャンパンはただのはずです!!!」ここで、またもや、支配人さんが登場し、現地旅行社に電話で確認しています。電話の後、支配人さん曰く、「シャンパンの料金は、確かに込みだったようです。でも、とりあえず、こちらでは支払っておいて下さい。パペーテで、旅行社さんの方から返金があります。」これで、ほっと一安心です。私達は、心安らかに、そしてとても名残惜しく後ろ髪惹かれる気持ちで、ソフィテル・モツを後にしました。

 パペーテのホテルにチェック・イン後、私達は、現地旅行社のスタッフさんから、返金とお詫びの言葉を受けました。「ご迷惑おかけしました。ワインが無料で付いていたのですが、ホテル側の連絡が徹底していなかったようです。」え、ワイン?どうやら、私達は、「アイタ・ペアペア」なホテル・スタッフ達のおかげで、随分得をしたようです。しかし、現地旅行社には、かえって迷惑をかけてしまったようですが(T_T)。

マララ連絡ボート編

 ボラボラ島滞在二日目、午前はシャーク・フィーディング(鮫の餌付け)、午後はヘリコプタ遊覧を予約していました。本当は、ヘリ遊覧は別の日にしたかったのですが、最少催行人員の4人が確実に集まりそうなのが、この日しかなかったのです。念のため、朝食後フロントで、昨日聞いていたヘリコプタ遊覧の時間を確認すると、1時半に桟橋にボートが迎えに来るので、その時間に桟橋に来るようにとのことでした。これで今日の予定も大丈夫と、フロントを出て部屋に戻り、シャーク・フィーディングに行く準備をしました。

 シャーク・フィーディングは、とても楽しい企画でした。ボラボラ島をアウトリガー・カヌーで島を一周しながら、魚が集まるポイントで、案内のお兄さんが鮫の餌付けするのを眺め、エイを観察します。途中、ココナツ・ジュースも振舞われ、充実した時間を過ごせました。

 ホテルに帰って、コテージで一休みした後、今度はヘリコプタ遊覧です。ヘリコプタ遊覧は、1時半に迎えのボートで対岸の姉妹ホテル、ソフィテル・マララに移動し、2時にマララまでヘリポートまでの迎えの車が来ることになっていました。時間に遅れてはならぬ、と私達は言われた時間の10分前には桟橋の上に立っていました。

 ソフィテル・マララからボートが来るなら、そろそろ海の上には、ボートの影が見えるはず。ところが、その気配は一向にありません。5分が経ち、もうすぐ予定の1時半と言うときになっても、一向にボートは現れません。さすがにまずいと思った私達は、フロントまで引き返し、「ボートが来ないんですが・・・」と、その時いた女性スタッフに話しました。スタッフさんは、「分かりました。ちょっと待ってください。」と言って、なにやら電話をかけたかと思うと、「OK。今来ます。」・・・ということは、今の電話でボートがすぐ来ることになったということで、少なくとも言われていた時間までには来るはずがなかったということでは?まさか、すっかり忘れられていた・・・?

 この時、乗って分かったのですが、モツからマララまではボートで約5分。もしかしたら、そのまま待っていても、10分か15分遅れで、適当に間に合うように来たのかも知れません。が、それでも・・・

 一抹の疑念を覚えながら、マララのフロントに行き、念のためアクティビティ・デスクでヘリ遊覧の予定を確認すると、確かに2時に迎えが来るとのこと。そして、今度はなんと(?)ほぼ時間通りに白いワゴン車が現れ、私たちを積んで無事にヘリポートに出発したのでした。

 ボラボラ島滞在二日目、ヘリコプタ遊覧に参加したときのこと。ヘリポートまでは、ソフィテル・モツの対岸にあるホテル・マララまで送迎の車が来てくれます。私たちを乗せた車は途中ホテル・ビーチコマーに寄り、もう一組の日本人カップルをピックアップした後、ヌヌエのヘリポートに予定通りの時間に到着しました。ヘリポートと言っても、学校の隣の空き地のような所です。ヘリコプタの姿も、どこにもありません。すると、運転手のところに連絡が入り、ヘリが来るまで後30分くらい待ってほしいとのこと。なんでも、急病人が発生したため、ヘリコプタが隣のライアテア島の病院に運んでいったとのことでした。ヘリコプタは、緊急時の貴重な交通手段となっているのです。

 その間、私達は辺りをぶらぶらすることにしました。ヘリポートのすぐそばは海で、入江の奥にヌヌエの村と、向こうにはオテマヌ山が聳えています。海では、子供が二人水遊びをしています。

 のどかな光景にぼおっとしていると、突然、水しぶきがぱしゃりと飛んできました。海で泳いでいる子供達が、私達をめがけて水をかけてきたのです。びっくりして、子供達がいる所に近寄りました。すると、子供達のほうも私達のいる所に、すいすいと寄って来ました。そして、私達に向かって、フランス語で話しかけて来ました。「フランス語?英語」(その部分だけ、分かりました。)「英語」と言うと、二人で「ちぇっ」と、残念そうな顔をしています。

 しかし、そこは子供達のこと。僕たちの泳ぎを見て、と言わんばかりに、すっと水に潜ったかと思うと、しばらく潜水したまま、両手をますぐ伸ばし、足を滑らかにくゆらして、すいすいと泳いで見せてくれます。さすが、島の子供達です。そして、海面に飛び出して、「どう、すごいでしょ」といわんばかりの笑顔を送って来ました。

 私達が拍手をすると、二人とも水を出て丘に上がってきました。名前を聞きたいのですが、フランス語でなんと聞いたらいいのか分かりません。試しに、Erillが知っている数少ないフランス語の一つ、「ジュ・スイ・エッリ(私はElli)」と言いながら、自分を指差し、次にTakaを指して、(「彼は○○です」という言い方がすでに分からないので)「Taka」と言ってみました。すると、男の子達は、順番に、背が高くてほっそりしている子が「クリス」、背が低くてぽっちゃり気味の子が「ハレイラ」と、名前を名乗ってくれました。

 それから、二人は私達が持っているデジカメに、「見せて見せて」(と多分言っているのでしょう)と手を伸ばしてきました。私達がこれまでに撮った写真を見せ、さらにその場でオテマヌ山の写真を撮ってモニター画面に映し出すと、「すごい!」と言う表情で夢中で画面を覗き込んでいます。Takaが、二人に向かって、カメラを構えて写真を撮る格好をして、「映る?」と言うと、二人とも「待ってました!」と言わんばかりに笑い、カメラに向かって肩を並べて整列しました。この頃になると、二人の個性もよく分かってきました。精悍で引き締まった感じのクリスは、性格も表情も男っぽく、たくましい感じです。(もっとも、Takaに言わせれば、「次は何をやってやろうか」と、始終悪さをたくらんでいる感じだとか)。見るからにおおらかで優しそうなハレイラは、性格も温和でひとなつこく、いつもにこにこ笑みを浮かべています。

 それから、しばらく私達は、二人といっしょに辺りをぶらぶらしました。面白いことに、二人の性格そのままというか、人なつこく誰にも可愛がられそうなハレイラはElliの方にばかり付いてきます。クリスに至っては、硬派なたちにふわさししく男のTarkaに付き従い、Elliと目が合うとメンチをきってくる有様でした。

 そうしているうちに、上空からバリバリという音がして、ヘリコプターが戻ってきました。私達は、子供達に別れを告げ、ヘリポートに向かいました。ヘリコプタは青い機体で、フランス人パイロットの操縦です。遊覧飛行は、素晴らしいものでした。空から見たボラボラの海は、地上で見るより何倍も鮮やで、青という色がこんなにも彩り豊かであることに驚きました。15分の飛行時間が、一時間に思えました。Elliは、幸運にもパイロットの隣の席になり、ボラボラの自然や風物について詳しい説明を聞きながら、180度のパノラマを満喫しました。

 ヘリポートに帰ってくると、二人の子供達は、やはり同じ所を泳いで遊んでいます。ヘリから降り、パイロットといっしょに記念撮影をした後、送迎車の止まっている方に歩いていくと、二人の子供も私達に気が付きました。二人に手を振ると、二人も手を振り返してくれました。車が出てからも、私達は、二人の姿が見える限り、手を振り続けました。二人の方も、こちらに向かってずっと手を振ってくれていました。ほんの短い時間でしたが、二人の子供達とのふれ合いは、心温まる思い出です。