旅で出会った数々の想い出。 それらの一端を思いつくままに書いてみました。

 Elliには、イル・デ・パンに来たらぜひ訪れてみたい場所がありました。それは、ノカンウィです。代理店に相談に行った時、担当者の方から「ノカンウィはいいそうですよ。行かれた方が、とてもよかったと言っていました。」と聞き、インターネットで調べてみると、白砂に遠浅の海がどこまでも続く別天地のような風景が、絶賛コメントと共に紹介されています。これは、行かねば!と思ったErillは、ノカンウィ・ツアーの情報をせっせと集め、宿泊先のホテル・ウレ・ロッジからノカンウィ・ツアーが間違いなく予約できることを確認して、期待に胸をふくらませたのでした。

 ウレ・ロッジに到着して、フロントでチェックインをすると、カウンターには憧れのノカンウィの写真が・・・アィティビティについて尋ねると、3時以降にフロントに来るようにとのこと。カヌメラ湾とクト湾を探索した後、ちょうど時間になったのでフロントに行き、ノカンウィ・ツアーを申し込んだのでした。ノカンウィ・ツアーは、よその宿泊施設、ジット・マナマキーの主催で、ホテルのフロントがジット・マナマキーに連絡を取って、予約を入れてくれる仕組みになっています。結果は、夕方にならないと分からないので、その時また電話で知らせるとのこと。私たちは、部屋に戻って連絡を待ちました。ところが、夕方になっても電話は鳴りません。心配になって、6時半過ぎにこちらから連絡を取ると、「明日は駄目です。舟の故障で、ツアーは出ません。」との話。もう結果が分かっているのなら、何ですぐ連絡をくれないの?と思いながら、舟の修理の目処を訪ねると、そこまでは分からないと言います。それもそうだろうと思い、ノカンウィ・ツアーが再開したら必ず予約を入れてくれるように頼んで、明日は、ピローグ遊覧とピッシンヌ・ナチュレルに行くツアーを申し込んだのでした。

 翌日のピローグ・ツアーは予想以上にハードでした。ピローグ船での遊覧の後、ジャングルを一時間弱歩き続け、オロ湾の水の中を歩き回り、さすがに足が棒になったように感じました。疲れ果てた私たちは、次の日はカヌメラ湾とクト湾で、のんびり一日を過ごすことに決めました。しかし、万一、ノカンウィ・ツアーが取れたら・・・いたずらに心を乱さないためフロントに赴き、尋ねてみると、昨日と同じ要領で、夕方6時以降に確認して部屋に電話をくれるとのこと。7時前まで待っていたのですが、例によって電話はありません。仕方なくこちらからかけてみると、ノカンウィツアーは、明日も出ないと言います。舟の修理がまだなのかと尋ねたら、「違います。案内人の主人がヌーメアに出かけていて、明後日までずっと留守です。」明後日というと、金曜日。ツアーの可能性のある土曜日は、私たちはヌメアに出発です。「では、金曜日は、無理ということですか?土曜日からでないと、その人はいないのですね?」と念を押すと、「そう、その通りです。」との返事。・・・こうなっては、もう諦めるしかありません。

 それにしても、ツアーが出来ない理由は、舟の修理ではなかったの?そもそも、こういう場合、ツアーが中止にならないように、代わりの人はいないのでしょうか?改めて、日本の代理店からもらったパンフレットを、穴の空くほど眺めました。「ノカンウィピクニック 漁師マルセランと一緒に・・・」ううむ、ノカンウィ・ツアーといえば、漁師のマルセランさんの名前抜きでは語れないほどなのでしょうか。ツアー催行は、彼の専売特許なのでしょうか。恐るべし、漁師マルセラン。次回は、ぜひともお会いしたいものです。

 

 イル・デ・パン島に着いて二日目に参加したピローグ・ツアー。ピローグとはメラネシア伝統の帆掛け舟で、アウトリガー・カヌーに三角形の帆が付いた作りです。

 ツアーには半日コースと終日コースがあり、半日コースはウピ湾をピローグで巡って帰ってきます。終日コースは、ウピ湾をピローグで遊覧した後、ジャングルを探索してオロ湾に出、ブーニャという伝統料理のランチを食べて、午後3時に迎えのバスが来るまでピッシンヌ・ナチュレルとオロ湾で自由行動です。私たちが選んだのは、終日コースでした。

 朝8時過ぎに出航したピローグは、帆に風をはらみ、エメラルド色のなめらかな水面を滑るように走ります。最初、マストの後ろ近くに座ってしばらくすると、船員のお兄さんが最先頭の部分に座るように私たちを手招きしています。特別なはからい?と思いきや、どうやら私たち操舵の邪魔になるので、無害なところに移したということのようでした。何はともあれ、特等席に座って、心地よい海の風を受けながら、エメラルドブルーの水と奇岩の織り成す風景の変化を何ものにも遮られず楽しむのは、至福の一時でした。

 至福の一時の後は、過酷な一時が待っていました。原生林の手前の小さな浜に下ろされた私たちに向かって、ピローグのお兄さんの指示は、生い茂る森を指差して、「ここを歩いたらピッシンヌ・ナチュレルに着くから。」と、それだけ。地図も何もありません。仕方なくいっしょに降ろされた人たちといっしょに右往左往していると、森の中にそれらしい小経が続いているのを発見しました。私たちといっしょなのは、メラネシアンとフレンチのハーフらしき女性1人とフランス人青年2人の3人グループと、日本人カップルがもう一組。みんなよく分からないまま、森に続く小径を歩き始めました。森の中はけっこう明るく、日差しは地面まで差し込んでいました。しかし、歩けど歩けど木立ちの様子は変わらず、いつになれば着くのか半ばうんざりしながら歩き続けること約1時間、ようやく森が開け、小径から車道に出ました。

 ほどなく建物が見え、川の流れがあります。川に見えるのは、実はピッシンヌ・ナチュレルからオロ湾へ向かって流れ込んでいる海水でした。建物はChez Regis(シェ・レジ)というレストランで、ここで1時にブーニャのランチを食べることになっています。そこで、私たちは大変なことに気付きました。ホテルのフロントでツアーの予約を入れたとき、ブーニャ・ランチについては直接レストランに現金で払うように言われ、前日お金の用意までしていたのに、うっかり持ってくるのを忘れたのでした・・・もうランチはあきらめようというTaka。でも、ここで食事処といえば、シェ・レジしかありません。さすがに既にかなり歩き回って、この後シュノーケルをして、迎えの車が来る午後3時まで何もお腹に入れないというのは、すぐ低血糖を起こすElliにはとても耐えられません。それに、伝統食ブーニャを食すせっかくの機会をふいにするとは・・・Elliは頭を巡らせました。そもそもツアー料金はホテルが徴収して、ランチ代だけ当日レストランで現金払いというやり方では、同じようなことをやらかす人は多いはず。それに、いくら英語人口の少ないニューカレドニアでも、観光の目玉スポット付近で唯一のレストランで、英語が通じないとは考えにくい。事情を話して、後日支払うようにすれば、食事はさせてもらえるのでは?いちかばちか、Elliはレストランに踏み込み(?)ました。すると、事務所にフランス人らしき女の人がいたので、英語で話しかけました。「すません、こちらで今日のランチの予約をしているのですが。」
 「ウレ・ロッジ?」よかった、英語は通じます。
 「はい。ですが、お金を忘れてきたんです。」
 「いいですよ。明日こちらからホテルに取りに行きますから、帰ってからフロントに料金分を預けておいて下さい。1時前にレストランに来てください。」
 「ありがとうございます!!」
 笑顔で対応してくれるレストランの人の親切な言葉に、これで安心してブーニャを食べられると喜んだのでした。それにしても、なぜ私たちがウレ・ロッジ宿泊と分かったのでしょう?もしかしたら、ウレ・ロッジだけが当日払いのシステムになっていて、お金を忘れる人が後をたたないのでしょうか。確かにお金を忘れた私達が悪いのですが、後日ホテルに集金に来てくれるというなら、最初から込みにすれば?もしかして、ホテル側の都合・・・?

 頭の中を憶測がかけめぐりながらも、とにかくこれで心安らけく時を過ごせるようになった私達は、さっそくピッシンヌ・ナチュレルに向かうことにしました。さて、ピッシンヌ・ナチュレルはどっち?どうやら、これからピッシンヌに行く人々は、「海の川」が流れてくる方向に向かって歩いています。私たちも上流(?)に向かって進むべく、流れの中に足を踏み入れました。出来るだけ浅いところを選んで水の中を歩き、途中、岸に上がって林の中を行き、また流れの中に戻り・・・を繰り返し、最後に林の中を進むこと約10分、段々と水の色が鮮やかになり、水中に青や黄色の可愛らしい熱帯魚の姿が現れました。その先には、目も綾なコバルト・ブルーの海と、白く輝く浅瀬、そして南洋杉の緑の木立の光景が、まばゆいばかりのコントラストで広がっていました。

 ピッシンヌ・ナチュレルは、フランス語で「天然のプール」の意味で、外洋の水が岩の隙間から流れ込み、いわば内海のプールになっています。手前の陸地は森林が切れ、砂浜(珊瑚の死骸が堆積している?)になっていてました。ここで、ピローグを降りて始めて木陰が途切れて気付いたのですが、強烈な日差しが容赦なく降り注いでいます。まず、荷物を置く所を確保すべく、陰のある所を探しましたが、適当そうな所は、どこも先着の人々でふさがっています・・・やっと、崖に近いところで辛うじて陰が出来ている所に荷物を下ろし、水に入る準備をしました。もちろん、Tシャツは肌身離せません。

 遠浅の浜辺が多いニューカレドニア。ここも、遠浅気味で、水際からしばらくは深さ50cmもない浅い水がずっと続き、なだらかに深くなっていきます。ピッシンヌの水は、冷たいと聞いていたのですが、この辺りは夏の日の光でほどよくぬくもっていて、足をつけるとまるで「天然のプール」ならぬ「天然の足湯」に入ったような心地よさでした。思わず温かい水の中に寝そべり、青い空と美しい海を眺めながら、文字通り楽園にいるような感覚を堪能した後、いざシュノーケルに向かいました。

 私達が行った頃は初夏でしたが、それでも、深い所へ行くと、噂にたがわずヒヤッとする水温でした。魚の数はそう多くありませんが、瑠璃色や黄色、黒と白のストライプの、綺麗な熱帯魚に出会えました。圧巻は、写真館のページでも紹介したピッシンヌ・ナチュレルと外洋の境でした。私達は、ピッシンヌの縁を形作る岩壁を伝って、一番外に張り出している所まで近づきました。そこには、激しい勢いでピッシンヌと外洋を隔てる環状の岩に、強い波が打ちよせ、高いしぶきが上がっていました。

  浅い所まで戻り、もう一度、冷えた体を天然の水のぬくもりで温めたあと、昼食を取りに、シェ・レジまで戻りました。着いてみると、レストランの席にはほとんど人が座っておらず、みんな建物の向こう側に集まっています。ちょうど、蒸しあがったブーニャを地面の中にしつらえた石の釜から取り出すところでした。ブーニャは、メラネシアの伝統料理で、タロ芋やヤム芋、魚などの食材をバナナの葉でくるんだ物を、穴の中に石を並べて作った釜の中に、石を熱してから入れ、蒸し焼きにしたものです。本来は塩とココナツミルクだけの素朴な味付けだそうですが、私達が食べた物はブイヨンの風味が加わり、洗練された食べやすい味になっていました。もちろん、美味しかったです。量はたっぷり、相当にお腹を空かした状態で、二人で一包み分け、食べきれないほどでした。

 昼食後は、「海の川」を今度は下流の方に歩き、メリディアンを外から偵察(?)して、メリディアンからオロ湾に掛かる端の上から、湾をちらりと一望して、またシェ・レジまで戻りました。

 ウレ・ロッジからの迎えの車を待っていると、いっしょに林を歩いたフランス人青年2人と、ハーフらしき女性の三人グループといっしょになり、Elliは、女の人と少し話をしました。女の人と青年の一人はヌーメアに住んでいて、フランスから友達が来たので、休暇を取って、イル・デ・パンにいっしょに旅行に来たということでした。迎えの車は、三時を過ぎても来ず、Elliが「遅いなあ」と呟いたら、「15分くらいだったら、遅れているうちに入りませんよ。」と、彼女。確かに、これがこちらののんびり感覚なんですね。

 それから、5分くらいして、迎えの車がやって来ました。ハプニングあり、ジャングル(熱帯疎林?)歩きあり、美しい海との出会いありの、盛りだくさんな一日でした。

 

 ノカンウィ・ツアーが無理と分かった私達は、やはり出発前から行きたいと思っていたガジー湾シュノーケリング・ツアーに行くことにしました。ツアーは、イル・デ・パン島唯一のダイビング・センター、クニエ・スキューバ・センターの主催です。夕食が終わった後、とりあえずフロントに出向いて、予約可能かどうか聞いてみることにしました。「ガジー湾のピクニック・ツアー、予約できますか?」
  「え?」
  「クニエ・スキューバ・センターのアクティビティなんですが。」
  「クニエ?ダイビングですか?」
  「いえ、シュノーケルのツアーですが。」
  「クニエはダイビングだけです。」
  「でも、やっているようなんですが。インターネットのホームページにも出ているし。」
  「いいえ、ダイビングだけです。」
 これ以上押し問答を続けても無駄と分かった私達は、部屋に戻りました。こうなったら自分達で直接予約を入れようと、クニエに電話をかけてみましたが、遅い時間だったので、当然誰も出ませんでした。

 次の朝8時半ごろ、再び電話をしてみましたが、やはり誰もいません。早々と各アクティビティに出払ってしまったのでしょうか。時間を置いて何回か電話をしてみましたが、誰も出ません。今日は、ホテルの周辺で一日のんびりする日と決めていましたが、私達もいつまでも部屋で電話をかけているわけにはいきません。クニエのスタッフがアクティビティから戻ってくる夕方が狙い目なのかもしれませんが、タイミングがうまく合わず、予約を逃してしまったら、悲しい限りです。ガジー湾シュノーケルツアーは、「ピクニック・ツアー」という名で私達の日本の旅行代理店、メルシーツアーのオプショナル・ツアー・リストにも載っていることですし、こうなったら、最後の頼みの綱、現地旅行社のアーカンシェル・ジャポンに電話して、予約をお願いすることにしました。

 ヌーメアの旅行社の番号に電話すると、日本人の女性スタッフが気持ちよく対応してくれました。「明日ツアーが出るかどうか分かりませんが、分かり次第ご連絡いたします。」そして、部屋で準備をしていると、10分としないうちに旅行社から電話が入りました。「明日のシュノーケリングツアーの予約、OKです。ヴァウチャーはウレロッジのフロントにFAXしておきます。また、今日、うちのスタッフが離島日帰りツアーで、ウレ・ロッジで昼食に寄るので、メルシーツアーのパンフレットを見せてく下さい。料金はヌメアに戻ってこられてからでお支払い下さい。」そして、すべてその言葉どおり順調に事は運び、FAXはほどなくホテルのフロントに届き、お昼になるとアーカンシェルの係員の方が部屋まで来られて、予約は完了したのでした。

 その日は、午前中は散歩がてら、お隣のホテル・クブニーまで絵葉書を買いに行きました。ウレロッジには売店がないので、フロントに聞くと、クブニーまで行くようにと言われたのです。カヌメラ湾とクト湾を隔てる道の辺りまで来ると、いつもは静かなのに、白人系の人々がたくさんたむろし、道路わきの緑地では、バーベキューの準備まで始まっています。何だろうと思って、クト湾に突き出した桟橋のほうを見ると、大きな白いクルーズ船が停泊し、そこからどんどん人が吐き出されています。いつもはひっそりしているカヌメラ湾とクト湾が、よりによって私達のいる日に限って、人で埋め尽くされようとしています。何でもオーストラリアの高校生の修学旅行とのことでした。

 散歩を終えた私たちは、高校生達の去るのを待つべく、昼間でコテージのデッキで、鳥のさえずりを聞きながらのんびりお昼寝していました。が、昼食を済ませ、お昼になっても高校生達は一向に去る気配を見せません。仕方なく、2時半頃、カヌメラ湾の左端の岩場の近く、高校生達が出来るだけ疎らな所を選んで、シュノーケリングを始めました。いますいます、いろんなお魚が。黄色いチョウチョウウオや、白黒の縦じま模様の魚、茶色いクマノミ。一年前訪ねたボラボラ島の海ほど透明度は高くありませんが、なんといっても種類が多く、ボラボラ島とはまた別の種類の魚達にたくさん出会えました。結局、高校生達は、夕方4時ごろ、船へと引き上げていきました。

 次の日、いよいよガジー湾ツアーに出発です。朝9時にフロント前、と聞いていたのですが、8時に日本語スタッフのカティさんから電話が入ってきました。「お客様、出発です。」???と思いながら、ちょうど朝食に出るところでしたし、フロントまで行ってみました。すると、「すみません、クニエの方の間違いでした。」いったい、何だったのだろうと思いながら、朝食を済ませ、最初の話どおり9時前にフロントに行くと、しばらくして送迎車が来ました。運転手の隣の助手席には、まだ幼い女の子が乗っています。運転手さの娘さんです。貿易風が始終吹き、夏の初めでも爽やかなイル・デ・パン島は、森林も鬱蒼としておらず、そこそこに茂っています。途中、運転手の家に立ち寄り、女の子を下ろしました。ヌーメアの瀟洒なつくりの家とは全く趣の違う、白いコンクリート壁の、質素な家でした。森林地帯を抜けて、左手に碧にきらめく海が見え始めてまもなく、クニエ・スキューバ・センターに着きました。コンクリート造りの、小さな平屋建ての建物です。隣には、ホテル・コジューの門構えが見えます。私たちは、センターでフィンだけ借りて、少し後から来たメリディアン滞在中の日本人の新婚さんといっしょにコジューの砂浜に降りて、モーター付きゴムボートに乗り込みました。

 ボートを操縦してくれるのは、クニエのメラネシアンのお兄さんです。しかし、お兄さんは、こちらが「ハロー」「ボンジュール」と言っても、ただはにかむような笑いを浮かべるばかりで、一言も発しません。どうやら、お兄さんが話せるのはフランス語とメラネシア語だけで、私たちと言葉を交わさなくて済むように、目も出来るだけ合わさないようにしているようなのです。私たち四人はお兄さんの様子を見て、まあ、目的地に着いたらシュノーケルスポットくらいは指差して教えてくれるよね、と話しながら、ボートの両側に座りました。

 ボートは、水しぶきを上げながら、波の上を飛ぶ様に進みます。沖へと出るにつれて、海の色は一段と鮮やかに澄みわたり、エメラルドの宝石を溶かし込んだような色になってきました。そして、点々と小さな島が現れ、緑の島々の見せる遠近と、宝石色に輝く水の織り成す、まばゆいばかりの風景が現れました。景色に見とれているうちに、イル・デ・パンを出てからおおよそ20分後、ボートは少し大きめの島の白い砂浜に停まりました。今日一日を過ごすナナ島です。私たちのようなシュノーケルツアーか、地元の人が個人でピクニックで訪れる以外は、人の立ち入ることのない無人島です。

 カヌメラ湾を始めて歩いた時もそうでしたが、浜の白砂は、照り返しでとてもまぶしく、目を開けていてるのもやっとです。砂浜に降り立ち、さてシュノーケルスポットはどこだろう、お兄さんから昼食や出発時間の大まかな時間についての一言説明でもあるのだろうか、と思いきや、お兄さんは、ボートの中からランチが入っていると思われる大き目の箱を運び出すと、ビーチの後ろに連なる低い崖の下に箱を置いて、砂地に黙々と穴を掘り始めました。そして、穴を掘り終わったかと思うと、薪を集めに崖の上に広がる森の中へ姿を消してしまったのです。

 こうして砂浜に放置された私達は、とりあえず辺りを歩いてみることにしました。目の前には、太陽の光を受けて、ターコイズからエメラルドの七色に変化する海が広がり、その向こうに緑の島々が、湾を囲むように浮かんでいます。その鮮やかで晴れやかな色彩は、ボラボラ島の海を思い出させます。砂浜の端から端までを歩き、一通り記念撮影を終えて、海に入ることにしました。でも、いったいこの海のどの辺りに珊瑚があり、魚達がいるのでしょう。まず、Takaが海に入って、様子を見ることになりました。戻ってきたTakaが言うには、浜の左側の方に珊瑚があり、魚がたくさんいるとのこと。早速、そちらに向かって、泳いで行きました。

 海の中は透明度が高く、カヌメラ湾の海とはまた感じが違います。ボラボラのソフィテル・モツの裏の海に近い感じです。しばらく行くと、珊瑚の大きな塊があり、黄色や瑠璃色、そして、明るいセルリアン・ブルーをした、色とりどりの綺麗な魚が泳いでいます。カヌメラ湾の魚とは、また種類が違っています。宝石色のナナ島の海、そこをおよぐ魚たちも可憐な宝石色です。パン屑を巻くと、魚が群がるように寄ってきます。しばらく魚たちと戯れ、別の所に泳いでいくと、青枝珊瑚があちこちに生えていました。

 一時間くらい泳いで、砂浜に上がって一休みした後、砂浜の後ろの低い崖の上に登ってみることにしました。崖の上は森林になっていて、木立の間から、白い砂と青い海が臨めます。しばらく見とれていると、下で食事の準備をしていたお兄さんが私たちの方を向いて手を振っています。そして、「ランチ!」と叫んでいます。私たちは、下に降りて、他の二人を呼びました。ランチは、コンソメ風味の白身魚とポテトの蒸し焼き、野菜と蟹と白身魚のマリネでした。クニエの隣のホテル、コジューで調理した物のようでしたが、あっさり風味が嬉しい、とても美味しい味でした。

 昼食後、もう一度シュノーケルをして、2時半ごろボートで島を出ました。宝石色の海の色をしっかりと目に焼き付けるべく、水面をひたすら見つめました。コジューの砂浜に着き、ボートから降りるとき、私たちは素晴らしい今日の一日への感謝を伝えるべく、お兄さんに向かって「メルシー」と言いました。私たちのなけなしのフランス語に、寡黙なるお兄さんは返す言葉もなく、ただはにかんで笑っていました・・・

 結局、お兄さんが話した言葉は、たった一言、「ランチ」だけでした。

 

   ヌーメア滞在中、市内観光に出かけました。そのお目当ての一つが「マルシェでカフェ・オレを飲みながらクロック・マダムを食す。」でした。バスに乗ってヌーメア博物館の前で降りれば、目指すマルシェは目の前です。まずは、マルシェを探検して、一通り見学し終わった後、カフェスタンドに行きました。カウンターでは現地の方達が次から次へと注文(もちろんフランス語ね)しています。私たちも負けじと何度も「ボンジュール!」と声をかけるのですが、店員さん(その時は、店員どもと毒づいていたかもしれません)は見向きもしてくれません。いい加減に嫌気がさしてきたTakaは、Elliに「もう、あきらめてマクドナルドに行こ。」と言いました。しかし、Elliの目は、なんとしてもカフェ・オレとクロック・マダムを食べるのだという執念に燃えていました。また、Elliが言うには、「さっき、日本人も食べてた! 私たちだけが食べられないなんて悔しいもん」と。そして、その後も数分間粘って、ふと、ジュースカウンターの所を見ると、誰も並んでいないではありませんか。すかさず、そこに並ぶと、やっと一人の店員が応対してくれました。フランス語が話せない私たちは、英語が話せない店員さんに、通じるはずもない英語と身振り手振りでようやくオーダーを通したのでした。 ・・・クロック・マダムは本当に美味しかったです。

追補:
 カウンターでお金を支払うとき気づいたのですが、なんと、日本語で書かれたミールクーポンなるものが存在し、それは現地旅行社の一つである、アルファ・インターナショナルから発行されているものでした。料理名の横にチェックを入れて差し出せば、その引き換えに料理が出されるという優れものです。これさへあれば、「控えよろうっー」と掲げるだけでクロック・マダムにありつけたのですね。南国で寒い思いをしてありついた私たちには、そのクーポンは金色に輝いていました。